更新日:2023年05月07日 13:59
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「まっとうな保守」だった中曽根康弘元首相の死/古谷経衡

中曽根康弘

’83年1月11日、韓国・ソウルを訪問した中曽根康弘首相(右)は、韓国の全斗煥大統領(左)と会談を行った。対韓国外交を特に重視していた中曽根氏は、韓国への経済協力を約束。’84年には韓国の元首として初めて、全氏の訪日が実現した。写真/時事通信社

「まっとうな保守」だった中曽根康弘元首相の死/古谷経衡

 確かに中曽根は右翼であった。先日、101歳で逝去した中曽根康弘元首相は’82~’87年の約5年間政権を担当し、歴代7位の長期政権を誇った。  在任中、3公社(国鉄・電電公社・専売公社)の民営化を実現、これが原因で特に国鉄労組は疲弊し、進歩派からは現在でも「国労潰しの戦犯」と批判される。当選1回から憲法改正を持論とし、復古主義的傾向が強く、総理退任後も強硬な右傾姿勢を堅持した。自民党内でも非主流で、自らは革新保守を自称したが、批判者からは保守反動と呼ばれた。正直言って毀誉褒貶の分かれる宰相である。  中曽根は’18年、群馬県高崎市に材木商の息子として生まれ、戦時中は海軍主計(給料計算など)として重巡洋艦「青葉」等に乗艦。南方作戦に従軍し、英蘭軍から直撃弾を受けるなど戦場体験者としての一面を持つ。  ただ、中曽根は確かに右翼だが、現在のそれとはまるで違う。「韓国・中国を嫌いならば愛国者・保守、その反対は反日」とか「日韓併合は合法であり、日本は朝鮮半島を植民地にしていない」というトンデモ理屈を与野党の国会議員レベルが公然と発言してまかり通る、現在の「吹けば飛ぶような」末期的な右派・保守に比べれば、中曽根の姿勢は確固とした思想に立脚したものである。

アジア諸国との友好関係構築は評価されるべき

 中曽根政権はアジア外交を重視し、政権樹立後最初の訪問国として韓国を選んだ。当時韓国は全斗煥率いる軍事政権であったが、日本の総理大臣が公式に訪韓して韓国大統領と会談したのは中曽根が初めてである。席上、中曽根は韓国語を交えて過去の植民地支配を総括、韓国政府要人は感涙した。全斗煥をして「中曽根さん、俺アンタに惚れたよ」と日本語で言わしめたという。
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韓国、中国をはじめアジア外交を重視。歴史的事実と向き合う
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(ふるやつねひら)1982年生まれ。作家/評論家/令和政治社会問題研究所所長。日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。20代後半からネトウヨ陣営の気鋭の論客として執筆活動を展開したが、やがて保守論壇のムラ体質や年功序列に愛想を尽かし、現在は距離を置いている。『愛国商売』(小学館)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり ヘイトスピーチはなぜ無くならないのか』(晶文社)など、著書多数

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