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竹鶴政孝を世界へ送り出した男が作ったマルスウイスキー。その歴史に触れる

竹鶴政孝とマルスウイスキーの関係

 マルスウイスキーの生みの親は岩井喜一郎で、1904年に日本式アルコール製造法の基礎を確立した人物です。1918年、岩井は大阪高等工業学校の後輩であった24歳の竹鶴政孝をスコットランドへ派遣しました。そこで、竹鶴政孝はウイスキー作りを学び、日本で蒸溜所を作った経緯は、ドラマ『マッサン』でもおなじみです。このとき、竹鶴政孝がスコットランドから持って帰ってきたのが、「竹鶴ノート」です。しかし、戦後恐慌が始まっており、この時点ではウイスキー作りを断念するしかありませんでした。  岩井はその後、大阪帝国大学工学部講師に就任。1934年には本坊酒造の本坊蔵吉が、同大で岩井に師事することになりました。そして、岩井は1945年に本坊酒造の顧問に就任し、1960年には竹鶴ノートをもとに、信州でウイスキー蒸溜所の設計と製造指導を手がけたのです。  マルスウイスキーはまだ一般認知度はそれほど高くないのですが、古い歴史を持っている蒸溜所なのです。

現在、竹鶴ノートはニッカウヰスキーに譲渡されています。画像はアサヒビールのHPより

 見学が終わったら、バスが来る時間まで、お楽しみの試飲タイムです。本坊酒造2代目社長の邸宅を改装した「寶常」で有料試飲が行えます。本坊酒造が販売しているウイスキーはもちろん、津貫蒸溜所で蒸溜した原酒を飲むこともできます。ただし、まだ熟成期間が3年経っておらず、瓶を買って帰ることはできないので、ここで試飲するしかありません。  津貫のウイスキー、とても素晴らしいものでした。暖かいところで熟成させているので、2年強の期間でも十分に美味しく仕上がっているのです。今年発売される予定ですが、とても期待できそう。発売開始が待ち遠しいところです。

2代目社長の旧邸宅を改装した「寶常」

発売されていない津貫蒸溜の原酒を楽しむことができます

旧家の庭園を見ながら、まだ発売されていない蒸溜所のウイスキーを楽しむのは贅沢な体験でした

お酒を毎晩飲むため、20年前にIT・ビジネスライターとしてデビュー。酒好きが高じて、2011年に原価BARをオープン。2021年3月には、原価BAR三田本店をオープンした。新型コロナウイルス影響を補填すべく、原価BARオンライン「リカーライブラリー」をスタート。YouTubeチャンネルも開設し生き残りに挑んでいる
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