
第二十四夜 弘法と筆の負傷
「扉を開けた時に店内に自分より酔ってるバカがいると安心して飲める」
いつだったが誰かがわたしに向かって言った。
緊急事態宣言が明けて、うちの店も漸く営業を始めているわけだが、営業時間はいつもよりはるかに短い。平常時なら十時間くらい営業しているところがたったの五時間くらいだ。当然、酒を飲む量も半減して、ほろ酔いのうちに帰宅してゆっくり風呂でも入って映画の一本でも観てから眠りに付けるような気がしていたが、これが全くそうもいかない。時間が半分になったらそのぶんいつもの倍速で飲もうという意識が勝手に働き、結果いつもと変わらぬへべれけに仕上がるのである。酒を前にした人間はいつも愚かで、そしてその魔力に抗えない。旧約聖書がやたらと酒と酔っ払いに対してゆるゆるなのも頷ける。
赤い目をしている者は誰か。いつまでも酒にふける者。混ぜ合わせた酒を求める者である。(旧約聖書:箴言29-30)
営業再開二日目にして、マスターは血走った目で混ぜ合わせた酒を求めていた。
お客さんから差し入れで貰ったメロン風味のクラフトビールを一口含んだマスターは「何かが足りない」と言いだした。かと思うとそこへウォッカを足し、ジンを足し、しまいに杏露酒まで混ぜ始め、一時間後にはすっかり何を言っているかわからない奇怪な生物へと変化した。とても五十半ばのオトナの飲み方とは思えない。みんなは真似しないように。呆れた目で眺めつつ、わたしはタッちゃんのジンボトルに手を出して、まだ半分ハイボールの入っている自分のグラスへ勝手に注いだ。そんなわたしにさらに呆れた視線を注ぎつつ、タッちゃんは手酌で自分のグラスへジンを注ぎ足した。そして我々の様子を冷たい目で見ていた田中がボソりと言った。「メガジョッキでおかわり」。
突き抜けた一人の行動は、周囲を謎に勇気付けてしまうことがある。もうどうでも良いという諦めとも言えるが。