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わたしをスナックへと導いた者…外出自粛で過ごす夜の回顧録

第二十一夜 諸悪の根源或いは愚か者の縁

 皆さん、健やかに引きこもってますか?  わたしの働いているスナックも、開けていれば否応なく来てしまう落ち着きのない危険を顧みない阿呆たちの御身の安全と自身の安全のため今週からついに臨時休業となり、わたしはといえば、普段ひたすらに酒を飲み続けている長い夜を、大量に積み上げた本を延々と読んで白んできた空に驚いたり、趣味のつまらぬ漫画や文章書き続けて気が付けば朝を迎えていたり、時間を気に掛けることなく三時間超えの映画を立て続けに観てやっぱり気が付けば朝を迎えるなどして過ごし、自宅生活を大満喫している。  この一週間で会った人間といえばベトナム人のコンビニ店員ぐらいだし、「135番(タバコ)一つください」ぐらいしか言葉を発しておらず、日々の喧騒とアルコールによって失念していたお家大好き根暗陰キャという自分の本質を次第に思い出すに至った。  そういうわけで、近所のスーパーでジイさんが「何で納豆がねぇんだ!」とキレ散らかしていた以外取りたてて目新しい出来事は何もないので、昔話でもしようと思う。自粛生活で時間を持て余してる人はどうぞ。  今から十年くらい前、一人の男に出会った。(今、十年くらい前と書いていて時の流れの恐ろしさのあまり放心して手が止まった。)  その頃のわたしは垢抜けないボブヘアを明るく染め、愛読書が怪談専門誌『幽』であることや、鞄に忍ばせた読みかけの本が『地獄めぐり』であることや、「好きな漫画家は?」と訊かれれば「諸星大二郎」と即答してしまう自分を、エゴイストのワンピースやヴィクトリアシークレットの安っぽいボディミストの香りで一生懸命包み隠し、人間と薔薇の融合実験が行われている第一次大戦下の僧院に旅経ったきり帰ってこない脳内と思考をカッコつけたヴィヴィアンのライターで無理やりに燃やして夜の街を彷徨っていた。  その日は場末のコスプレキャバクラに体験入店の日で、生まれて初めての水商売に緊張MAX、言われるがままにセーラー服を着せられたわたしは、扉が開いたり源氏名を呼ばれるたびに肩を震わせていた。先輩たちの見様見真似でわざとらしいくらい大きな声で笑って手を叩き、何が入っているかよくわからない酒をひたすら飲んだ。  深夜二時を回った頃、酔った二人連れの新規客が来店し、わたしはその片方の男性の隣についた。のちに、わたしをスナック(現職場)へと連れて行くこととなった諸悪の根源、もとい恩人である。 「お兄さん、何て呼んだらいいですか?」  黙ってウーロンハイを飲む男に訊ねると、彼は「タカさんでいいですよ」とぶっきらぼうに答えてまたグラスを口へ運んだ。後から知ったことだが、彼の周囲で彼を「タカさん」と呼ぶ者は知る限り一人もおらず、何故この呼び名を指定したのかはいまだに謎である。  タカさんは当時は口数の多いタイプじゃないように思えた。  わたしが彼から聞き出せたことは、音楽系のライターをしていることと、自宅とは別に仕事場を借りていることだけ。どんな音楽が好きなのか訊ねると「ブラジルの音楽」と一言で返された。会話を広げる気がなかったのだろう。ブラジルのミュージシャンの名前なんて一人も出てこない。お手上げだ。逆に彼から訊かれたことといえば「ブレザーは着ないんですか?」だった。制服フェチのロリコンだと思った。 「袖、捲ってみてくれますか?」  セーラー服の長袖を指さして唐突に要求されたので、よくわからないままに捲り上げると、彼はほっとした表情で言った。 「リストカットしてる子じゃなくて安心しました」  腕が洗濯板みたいになってる子、結構いるんでーーと。変な奴だと思った。  時間になって席を立とうとすると、このまま席にいて良いと告げられた。初めての水商売の日の初めての場内指名。どうやらタカさんには、嫌われてはいないようだった。
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新宿伊勢丹前に現れたタカさんは…
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