バカラのひと勝負に140万円。20代の僕が味わった臨死体験と呪われた人生
海外のカジノで1万円を700万円まで増やしたことがある。連載の第一回目で420万円の借金を抱えたとも書いた。そのどちらもバカラによるものだった。バカラは1回の勝負が非常に短い。早ければ1分とかからない。対して賭け金は4,000円から200万円以上賭けることができる。
ほかのギャンブルも好きだが、バカラほどシンプルで運否天賦のゲームは他にない。ただ純粋に勝つか負けるかの二択の勝負。このゲームで金を賭けている時だけは自分の思慮深さや賢さ、選択を心配せずに感情を燃やすことができる。
初めて100万円以上賭けた時、僕は失禁した。持ってきた90万円を全部溶かし、知り合いに10万円借りて、それでも9万負けて残りが1万円になった。勝って倍、2万円。さらに勝って4万円。3回目もそのまま勝って8万円。ここまで5分とかからない。
当時の僕の月収は35万円だった。年齢にしては悪くなかったが、それでも10万円以上は重い。
愚かな自分を取り戻すために50%の確率を勝ち続けていく。その道程はボロボロの石橋を叩かずに走り抜けるイメージに近い。いつ崩れてもおかしくないが、ゴールはすぐそこにあるのだ。10万円はたった3回勝つだけで、たった5分間ツキ続けるだけで80万円になる。
やっていることはただの博打だが、打っている当時はカードに人生を乗せている気持ちだった。たった3回座ってカードを捲るだけなのに息切れを起こす。ピッチを駆け抜けたサッカー選手と自分が重なる。僕がカジノのリオネル・メッシだ。
人は思い込むことによって想像もしていなかった力を発揮することがある。僕はその時人生で一番ツイていた。プレイヤーとバンカーの二択が全て当たる。当たりすぎて自分の周りには人だかりができていた。気づけば僕を守るようにガードマンが2人もついている。
人だかりに向かって、
「金が欲しいなら同じ方に賭けな」
と、煽る。どよめきと歓声が上がり、みんな僕と同じ方に金を置いていく。今、この場を支配してるのは僕だ。そう思うとニヤつきが止まらない。ジャンヌ・ダルクも天草四郎も、周りを想って仕方なく止まれなかったんじゃなくて、途中からこんな気持ちだったんじゃないだろうか。死のスリルに勝ち続けた先にあるのは、
「自分は死なない」
という強い思い込みだった。
ここだ、絶対にこれは勝てる。そう思って生まれて初めて140万円を賭けた時、チップを置いた瞬間に軽い走馬灯が見えた。周りの人だかりはもう見えない。今まで麻痺していてチップでしかなかったものが、ふと140万円の価値を取り戻したのだ。年収400万弱の僕にとって140万円は遊ぶには想像もつかない無限の数字だった。
この時のカードは今も覚えている。僕が5で相手が6、そして僕が1枚カードを捲る番だった。
2、3、4のどれかを引かなければ負ける場面だった。3/13で負ける圧倒的に不利な場面。何も入っていない胃が痙攣して吐きそうになる。横からカードをめくり、すぐに縁やマークが見えればほぼ負けだ。逆にマークがなければ勝ちの目がある。でも打たれ弱い僕の涙腺は悲しみの涙を生産し始めていた。
フィリピンのカジノで1万円が700万円になった経験からカジノにドはまり。その後仕事を辞めて、全財産をかけてカジノに乗り込んだが、そこで大負け。全財産を失い借金まみれに。その後は職を転々としつつ、総額500万円にもなる借金を返す日々。Twitter、noteでカジノですべてを失った経験や、日々のギャンブル遊びについて情報を発信している。
Twitter→@slave_of_girls
note→ギャンブル依存症
Youtube→賭博狂の詩
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