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<純烈物語>東のホームグラウンド「東京お台場 大江戸温泉物語」の物語<第55回>

純烈ライブに力を入れるための人材募集

 会社としても、もっと純烈のライブに力を入れるための人材募集。これまでイベントに携わってきた者としての驚きは三世代に渡り見に来るファンの存在だった。 「お婆ちゃん、お母さん、娘さんが一緒になって熱烈的に応援しているっていうのは、他のイベントでは見たことがなかった光景で、こういうコミュニティーもあることが驚きでした。演歌・歌謡曲もほとんどかかわったことはなかったのが、見え方がすごく変わりましたね。自分の知らないジャンルなので面白いというのもありますけど、刺さっているお客様が目の前でリアクションしているのを見て、自分も知らなきゃと思いました」  東京お台場 大江戸温泉物語での定期ライブをスタートさせた4ヵ月後、純烈は宿願だった紅白歌合戦初出場を決める。当時、窓口は支配人を務める安田拓己さんだった。  現在はグループ内の「ホテルニュー塩原」に移っているが、今でも純烈に思い入れを持っているという。安田支配人なくしてこの関係はないと、平澤さんも今井さんも断言する。 「紅白初出場が決まった時は、すぐに安田が山本(浩光)マネジャーに電話して『おめでとうございます!』と伝えました。11月まで5回のライブをやってきたので、僕らも素直に嬉しかったですし、大晦日も仕事だったので事務所のテレビでスタッフのみんなが見ていました」(平澤さん) 「とくに安田と山本さんの関係性の話になるんですけど、よかったと思うんです。2人が話しているのを見ていても信頼し合っているのが伝わってきました。その関係値によって、継続できていったのだと思います」(今井さん)  紅白初出場後に訪れたスキャンダルの時も、それによって定期ライブをやめる選択肢はなかったという。会社からどうしろとの命令もなく、現場レベルで判断できた。スタッフの前で安田支配人は「純烈さんのライブは継続します」と言い切った。  スキャンダルが世に広まってから一発目の現場が東京お台場 大江戸温泉物語だった。どういう顔をして会えばいいのかとの思いもあったが、神妙な様子のメンバーとはいつもの感じで挨拶ができた。  そこで「この関係性は崩したくない。純烈さんが活動を続けるのであれば、これまで通りここでライブをしていただきたいんです」と意向を伝えた。黙って聞いていた山本は、真っ赤な顔でこみあげてくるものを抑えているかのようだった。 「なんでスキャンダルを起こしたグループを出すんだ?という声が出るかもしれない。でも、それは言われた時に考えようと。ですからリスクは考えませんでした。山本さんを中心に、いい関係が築けていたのでスパッと切ろうという意向は一切なかったです。 『家族のよう』って、安田は言っていましたね。自分たちもそう思っています。弊社も商売をしているのでそこに集客をするのが一番の目的ですけど、それ以上の期待に応えてくれる仕事面での思いもありつつ、やっぱり家族とか友達という意識で一緒に作っているという思いによって動かされていたのでしょうね」(平澤さん)  スキャンダル以後のライブでは、新規のファンが回を重ねるごとに増えていった。酒井一圭が「今日、初めて見に来た人!」と振ると、常に2割ほどが手をあげる。ファンだけではない、大江戸温泉物語も純烈を信じたからこそ見られた光景だった。 撮影/ヤナガワゴーッ!(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』が発売

白と黒とハッピー~純烈物語

純烈が成功した戦略と理由がここに
「夢は紅白!親孝行!」を掲げ、長い下積み時代を送ってきた純烈がいかに芸能界にしがみつき、闘ってきたのかを、リーダー酒井のプロレス活動時代から親交のあるライター鈴木健.txtが綴ったノンフィクション


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