エンタメ

<純烈物語>東のホームグラウンド「東京お台場 大江戸温泉物語」の物語<第55回>

ギッチギチの観客、しかも音漏れ目当ての人が溢れて……

 700人ぐらい入るスペースがギッチギチに埋まっただけでなく、音漏れ目当ての人たちがはみ出ていた。何よりも健康センターとは思えぬ熱気と盛り上がりに「これはいったい何なんだ!?」と衝撃を受けた。  純烈の存在も、ましてや自分たちの系列施設でこのような催し物が定期的におこなわれていたことも平澤さんは知らなかった。700人も集めるアーティストが東京でやったらどれほどの人たちが集まるのか、まるで想像がつかない。 「機材以前に、ここでライブをやって集客しようという発想そのものがなかったですから、こういう形でお客さんを呼べるコンテンツがある人気商売というものを知らされました。ただ、初回はチケットの販売が事前にできず当日券のみだったので、1000人ぐらい来るかなと予想して準備した結果、その日は台風並みの雨が降る中で120人ぐらいのお客様に集まっていただきました」  東京お台場 大江戸温泉物語初のライブは2018年7月6日におこなわれた。そのために機材を買い、イスは箕面から持ってきた。  初回記念価格として入場料を1000円(+入館料)に設定するも、箕面と比べたら少ない人数。それでもファンのマダムから「今日は少ない方だけど、続けていけばすぐいっぱいになっちゃうから! この私が保証するわよ。だからこれからも、どんどん純烈のライブをやってね」と声をかけられたのが強く印象に残った。  満員にはならなかったが、逆に言えば豪雨の中やってきたのはコアなファンということになる。何しろ普段ならお台場に来るような年齢層ではない。その人たちは、純烈ならばここをいっぱいにすると信じ切っている。そこに平澤さんは唸らされた。  箕面と同じように、お台場でも月一ペースでやっていきましょうとなり、初回の時点で2度目の大江戸温泉物語ライブの日程も決まっていた。まだ“紅白出場歌手”ではなかった純烈に対し、はじめから拠点を提供するつもりだった。 「3回目のライブで席が埋まるようになりました。2回目からはイスも買いました。箕面も始めた頃は何十人というレベルだったと聞いていたので、続けていけば……という思いでやっていましたけど、本当に増えたことで純烈さんと、それを信じたファンの皆さんはすごいなと」  続けるごとに感じた可能性。それに加え、じっさいメンバーと接するうちにその魅力へ惹かれていった。スタッフの一人ひとりと挨拶し、疲れていても嫌な顔をせず常に同じコンディション、同じテンションでステージへと立つ。  企画販促広報・今井あきさんも、そんな純烈の姿勢に魅了された一人。もともとイベント関連の仕事をやっており、たまたま求人を見て入社したところ、純烈を担当する命を受けた。
次のページ
純烈ライブに力を入れるための人材募集
1
2
3
(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。

記事一覧へ
おすすめ記事
ハッシュタグ