<純烈物語>この夏、プロレス界に突如現れた”準烈” と受け身を取った純烈の物語<第58回>
純烈&準烈合同記者会見のメインイベントは、3度目の紅白出場を祈願し酒井がステージ衣装を脱いで上半身裸になり、秋山のチョップを受けるというもの。もちろん、ものすごーく手加減したのだが、渋谷中に響き渡るかのような快音が鳴り響くと赤く染まった胸板を押さえて悶絶。あまりの衝撃に、目ん玉ばかりでなく自慢のヘソまでが飛び出たかと思わせた(もう飛び出ているが)。
(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxt、facebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売
いくらリングへ上がった経験があるとはいえ、90年代にはあの三沢光晴、川田利明、田上明、小橋建太の“四天王”の胸にも刻まれたチョップを食らったのだから、プロレス少年・酒井とすれば夢のような瞬間だったはず。また、対面した前日の大会会場が鶴見青果市場というのもシンクロニシティー。白川の出身地・横浜市港北区とは目と鼻の先だ。
本家から公認を頂戴した準烈は、3日後の後楽園ホール大会より始動。純烈のテイストは一切出さず、闘いに集中し勝利をあげた。
「せっかく純烈公認になったんだから、入場曲で使ったりすればいいのに」なる声も聞かれたが、それは秋山の意図するものとは違う。試合に向かうのは、あくまでもプロレスラーのユニット。そこに違ったテイストを加えるのはヨシとしない。
酒井も、リングに上がれば自分が子どもの頃に見た強くて怖い秋山でいてほしいだろうし、大石のテクニシャンぶりも若手の渡瀬と岡谷に必要な要素が何かも知っている。トークではバカなことを言って笑わせても、歌についてはどこまでも真摯な純烈の姿勢と同じだ。
「ツイッターとかの反応を見ると、昔(プロレスを)見ていたという人が多いんですよ。(純烈と絡むなという声は)ビックリするほどなかったです。訪問する時に、対決か!?となって『そんなことしないで!』というのはありましたけど、拒否されることはなかった。
酒井さんも発信してくれてありがたいですよね。この先どうなるかわからないですけど、いけるところまでいければなと思います。どこがいけるところなのかわからないですけど、でもどういう形になるかわからないから面白い。最初からこうなるなんて思っていなかったわけで。紅白の応援? お邪魔にならず、チャンスがあるのであれば」(秋山)
プロレスも純烈も、想像した以上に騒がしい未来が待ってる(byスピッツ)という点で共通する。DDTは毎年、大晦日の夜は後楽園で「年越しプロレス」を開催するのだが、史上初のNHKホールとのハシゴは実現するか――。
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