更新日:2020年10月12日 13:10
エンタメ

<純烈物語>“諦めない”を反芻しながら白川裕二郎は「おばちゃんたちの笑顔」を欲している<第66回>

白川裕二郎の強さを感じてほしい

 この連載でも常に何かと闘い、悩んでいるという印象がついてしまっているのかもしれない。しかし、その中にこそ人間・白川裕二郎の強さを感じ取っていただきたいという意図がある。  取材時、どんなにネガティブな思いや経験をうつむきながら口にしても、最後には正面を見据えるのが白川。その時の精かんなまでの眼力は、否応なく力士時代にあこがれた千代の富士をほうふつとさせる。  向き合う仕事が変わっても、姿勢が同じであればその人の目つきは同じなのだろう。白川が包み隠すことなく語る内なる真実へ触れるたびに、弱さよりも強さを感じてしまうのだ。  おそらく、ファンもそんな生真面目さやプロとしての姿勢が理解できているからこそ、その部分が過剰になりすぎることを懸念しているのではないか。それを言うと白川は、ありがたいという気持ちがこもった微笑を浮かべながら首をタテに振った。 「だとは思うんですけどね。でも病んではいないし……まあ、あの状況は病んでもおかしくないんですけど、そこまでではなかった。コロナになって寂しくはなったけどその分、体力的には休めたので助かったと思うようにしているんです」  マイナスをマイナスと受け取らず、プラスと考える――これは、白川が心がけている純烈をやる上での基本スタンスである。  だいたい負を負のままにとらえていたら今頃、純烈はない。デビューしての数年間は、それこそマイナスだらけだった。

昨年までの純烈はまさに年間フル稼働

 休みをとれたことが“特別”に該当する……それほどまでに、昨年までの純烈は常人ではあり得ぬほどのスケジュールを年間フル稼働でこなしていた。北海道の翌日は大阪という行程は当たり前。車でいけるところは純烈号に乗り込み、時間をかけて往復する。  体力だけではない。集合時間や飛行機、電車を利用するとなると出発に間に合わせるだけでもプレッシャーになる。精神的に削られる中で、それでもステージに上がれば笑顔で歌い、長時間にも及ぶ撮影会でファン一人ひとりとコミュニケーションを交わす。  純烈としてはそれが当たり前の光景であり、だからこそ支持され、評価されてきた。でも、その当たり前の向こう側には我々が知る由もない時間と体力が費やされている。 「そういうのを見て、諦めないでって言ってくれたのかもしれないですね。あのペースが今年も続くことを思えば、ペースダウンできてコンディション的には持ち直すことができた。それはメンバーも言っていて、あのまま続いていたらもしかしたら体が潰れていたかもしれないねという話はチラホラしました」  あとづけの考え方となってしまうが、このタイミングで休めたのは歌の神様が「まあ、少しは茶屋で落ち着け。京はまだまだ先ぞ」と与えたものなのかもしれない。もちろんそれがコロナによるものだけに悠長なことは言っていられないのだが、歩いて京都を目指す東海道五十三次を純烈はまるで短距離ランナーのようなスピードで進み続けてきたのだから。
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休みが取れた分、歌への影響は?
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(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。

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