永遠の野球小僧・ムネリンこと川﨑宗則の気になる現在地
’11年に常勝ソフトバンクで日本一を経験すると、翌’12年からメジャーリーグに挑戦し米球界で5シーズンにわたってプレーしたムネリンこと、川﨑宗則。その後、’17年にソフトバンクに復帰するも、翌年以降は体調不良のため一時グラウンドを離れることに。
だが、’19年7月に台湾プロ野球で現役復帰すると、’20年9月には栃木県小山市を拠点とする独立リーグ、ルートインBCリーグ・栃木ゴールデンブレーブスへの入団が発表された。SPA!の独占取材は7年ぶり3度目となる“ムネリン”にBCリーグや台湾プロ野球、今後進むべき道について聞いた。
――栃木でのデビューとなった小山運動公園野球場での茨城アストロプラネッツ戦では、第1打席の初球を打ち、いきなり本塁打でした。
川﨑:あんなことがあるんですね。’19年の12月以降、実戦から遠ざかっていた難しさもありましたし、そんなに簡単には打てるとは思っていなかったので、打った本人がいちばんビックリしました(笑)。
――チームに加入する前には、バッティングセンターで練習することもあったと聞きました。実際の投手とは感覚も違うでしょうし、調整は簡単ではなかったのでは。
川﨑:実際の投手が投げる球とバッティングセンターで来る球では、質も空気感も全然違います。普通、プロ野球選手は練習する場所があるのでバッティングセンターには行かないんですけどね。でも、僕は’19年台湾プロ野球の味全ドラゴンズでプレーしたあと所属チームがなかったので仕方なく。ファンの方には気づかれましたが、逆に一緒に写真を撮ったり、「バッティングを教えてください」と頼まれたり、今までにない楽しい経験をさせてもらいました。
――日本ではソフトバンクで長く活躍し、’12年からはメジャーリーグにも行き、昨季は台湾プロ野球にも挑戦しました。BCリーグはこれまでのキャリアと比較すると、規模や環境など大きく変わると思いますが、加入に際し迷いはなかったですか?
川﨑:対戦相手がいて、審判がいて、お客さんもいれば困ることはないですよ。ここ小山ベースボールビレッジは室内練習場もあるし、環境は素晴らしい。将来プロ野球で活躍できそうな原石のような選手もたくさんいますし、いいチームに入れてもらったと思っています。
――’06年のWBCでともに世界一に輝いた西岡剛選手との二遊間がまさか栃木で見られるとは思いませんでした。
川﨑:不思議な感じでした。でも、人生何が起こるかわからないものですね。一緒に二遊間を守ったときは、WBCのこととか、オールスターのこととかいろいろなことを思い出しましたね。
――’17年にソフトバンクを退団したときは自律神経の病気にも苦しんだと聞きました。復帰にはパワーも必要だったと思います。
川﨑:一度休んで少し元気になってきたので、また運動しようと思い、野球をしただけなんです。タイミング次第では、それがヨガになっていた可能性も(笑)。でも、結局はバットを振ったりボールを追いかけたりする野球がいちばん体力がつくし、僕にとっては最高の健康法なんです。
※10/27発売の週刊SPA!のインタビュー連載『エッジな人々』から一部抜粋したものです
【Munenori Kawasaki】
’81年、鹿児島県生まれ。’99年、福岡ダイエー(現ソフトバンク)に入団。’12年に渡米、’17年に帰国、古巣に復帰するも翌年退団。昨年は台湾の味全ドラゴンズで選手兼客員コーチとして現役復帰。今年9 月にBCリーグ・栃木とシーズン終了までの契約を結んだ
取材・文/栗原正夫 撮影/渡辺秀之
打った本人がいちばんビックリしました
僕にとって野球は最高の健康法
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