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<純烈物語>後上翔太は「コロナ禍前とは違うなにか」をまとえる存在<第72回>

一番年下でありながらの“動じなさ”

 学生時代に3ヵ月ぐらいかけて一つの作品を作る課題を出され、木を切っただけで「まな板」と称して提出し、先生に怒られると「だって受験には出ないですよね」と面と向かって言った人間である。合理的な発想に基づいた上で他者と違ったことをやるのは、むしろエンターテインメントに携わる上でフックとなり得る。  世の理不尽さを改めて噛み締める時間を過ごしつつ、後上は3月17日にNHK『うたコン』で19日ぶりにステージを踏んだ。曲目の『愛をください~Don’t you cry~』は、この時点でまた3回ほどしかパブリックな場では歌っていなかった。不安とともに、無人の客席による情景が違和感を生じさせる。  それでも精神的ハンディを感じることなくできたのは、後上が本能的に物事を「これと比べたらまだいいのではないか」と考えられる性分の人間だから。この連載を見続けている者ならばそこにある種の強さや、一番年下でありながらの“動じなさ”が感じ取られるはずだ。 「ガランとしたNHKホールの風景は寂しさを拭えなかったですけど、もしも通常通りお客さんがいたら緊張していただろうなとも思ったんです。久々のステージで、ほとんどやっていない曲を満員の前で歌うとなったらテンパっただろうな……だとしたら、この状況で助かったのかもしれないって。そこから今、目の前にある風景はこれまでとはまったく違う別の何かというように感じて、やることができました。  いつもと違うことがハンディになり、逆に救いにもなりで、プラマイゼロということですね。あれが慣れている『プロポーズ』だったら、当たり前の光景とのギャップでもっと不安になっていたのかもしれません。ほぼ初めての曲を初めての環境でやるということだからある種、気持ちの整合性はとれていたんだと思います」

無観客配信ライブで感じたこと

 イレギュラーなシチュエーションの中、ライブパフォーマンスをする上でどのように気持ちを保つか。それを後上は2020年に培った。いや、その場その場で対応力が必然的に磨かれたと表した方が適切か。  東京お台場 大江戸温泉物語における無観客配信ライブでも1曲目のイントロが流れ、幕が上がると観客が座っていない座席よりもその後方に陣取るマスコミへと目がいった。そこは自然と、人の気配の方に意識が引っ張られたところもあっただろう。 「そうか、あの人たちをニヤニヤさせればいいんだ」  小田井涼平は「ある意味、あの日は集まってくださったマスコミの皆さんとの勝負だった」と言った。それに対し後上は、誤解を恐れずに書くと“責任感担当”とは違う。  自分がベストなパフォーマンスするための意識の持っていき方は、本人に委ねられる。じっさいそれによって、無観客であるがゆえのやりづらさに呪縛されることなくできた。
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僕らは球種で言えば3つ
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(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。

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