2020年、猛威を奮った新型コロナウイルス。その犠牲者としてこの世を去った著名人のひとりが、コメディアンの志村けんさんだ。
12月18日に発売された千原ジュニアによる辞書風エッセイ『
大J林』のなかでは、志村さんとジュニア氏の息子との「とある奇縁」が語られている。

『残酷ザッピング』
【ざんこくざっぴんぐ】子どもは時として、とてもひどいことをするということ
緊急事態宣言のころ、ステイホーム期間としてずっと家にいたんですよ。
ある日、夜中にパッと目が覚め、腹が減ったなと思いキッチンへ。するとカレーが作ってあったので食べたのですが、辛みを一切感じない。
「えっ!?」
一瞬ヒヤリとし、ゴミ箱を見ると『カレーの王子さま』の空き箱が。そもそも辛みのない幼児向けのカレーだったのですが、味覚がおかしくなったのかと思いマジで焦りました。
辛みのない『カレーの王子さま』など、大人からすればただの『カレーの悪魔』ですから。
しかし家にいますから、今までなかったぐらいずっと子どもと一緒です。
息子は、ゼンマイ仕掛けのカバのオモチャがウインウインウインと歩き、ポトリと落ちる……というユーチューブ動画をずっと観ていて、それで爆笑してるんですよ。見れば再生回数は1.3万回だったのですが、そのうち0.3万回はうちの息子じゃないかってくらいずっと見ています。
こないだテレビを観ていると、飯尾さんが料理番組か何かでキウイを切っていました。
「見てください! キウイの皮が偶然にも……」
今まさにボケる、というタイミングでパッと息子がチャンネルを替えたのです。
まさに【残酷ザッピング】です(笑)。大人じゃ絶対できないようなことを、子どもは平気な顔でしてくるんですよ。
この2歳4か月になる息子は、それまで何も喋れなかったのですが、ついにある言葉を言うようになりました。
しかも朝から晩までずーっと言ってるその言葉とは、
「アイーン!」
志村けんさんの追悼番組でそのギャグを見て、彼の本能に突き刺さったのでしょう、それを一日中やってるんです。
しかし、子どもが初めて発する言葉が「アイーン」だなんて、志村けんさんの偉大さは想像を絶するものがあります。
志村さんのデビューは1974年の3月30日、つまり僕の生まれた日なのです。そして亡くなられたのが、僕の誕生日前日の3月29日。
僕の今まで生きてきた時間と同じ46年間という芸人生活をまっとうされ、その追悼番組を観た僕の息子が初めて覚えた言葉が「アイーン」。
この輪廻というかつながりというか。運命的な何かを感じましたね。そんな流れでふと息子の顔をまじまじと見ると、
「こいつ、志村けんの子どもなんちゃうか?」
ということまで思ったり(笑)。
もっといえば「アイーン」という言葉を作ったのは、僕の同期なんです。そもそもあのギャグが生まれたころには「アイーン」という言葉は使われておらず、志村さんはサイレントであの動作をやられてました。
そこであの動きに何か言葉をつけようとやったのが、FUJIWARA原西とバッファロー吾郎の木村。そのときに作った「アイーン」という言葉が広まり、ナイナイ岡村くん経由で志村さんの耳に。
それを志村さんが使いだし、あのギャグは完成したのです。
ですから志村さんのみならず僕の同期が味付けしたギャグが、息子の”初めてちゃんと喋った言葉”になったわけで、感慨深いものがあります。
追悼番組で高木ブーさんが仰っていた言葉を聞き、まさにそうだなと頷いてしまいました。
「志村は死なないんだよ」
ご冥福をお祈りいたします。

千原ジュニア氏・直筆イラスト
<取材・文 大J林編集部>
<著者プロフィール>

’74年3月30日、京都府生まれ。15歳で実兄せいじと千原兄弟を結成。現在は『にけつッ‼』(読売テレビ)、『世界くらべてみたら』(TBS)、『千原ジュニアの座王』(関西テレビ)、『千原ジュニアのヘベレケ』(東海テレビ)、『千原ジュニアと九州で人気番組を創る番組』(九州朝日放送)、『ABEMAニュースショー』(ABEMA TV)など数多くの番組にレギュラー出演中。 YouTubeチャンネル『
千原ジュニアYouTube』、『
ジュニア小籔フットのYouTube』も配信中。『週刊SPA!』誌上では直筆4コマ漫画「囚囚囚囚」を連載中