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虐待、被災、うつ病…これでも貧困は自己責任か? 25歳男性の過酷すぎる半生

裸で家の外に放り出されて…

 9歳のころ、小学校のテストで点数が悪かったときの記憶は特に鮮明だという。額の小さな傷跡を見せながら、こう続けた。 「頭を掴まれてガラス戸に叩きつけられました。ぱっくり額が割れたんです。病院に行って、医療用ホチキスでバチンと止められたのをよく覚えてます。裸にされて家の外に放り出されたこともありますし、一緒に死のうと車で連れ出されたこともあります」  そこまでの酷い虐待を、周囲は気づかないものだろうか。不思議に思って尋ねると、Dさんはこう返答した。 「小学校の教頭先生が気づいてくれたみたいです。聞き取りもされましたが、幼いながら報復が怖くて『僕が悪いんです』と言ってしまい、特に公的な救済はありませんでした」  彼が経験した虐待はこうした殴る蹴るの類だけではない。二次性徴が始める前、ごく幼いころに父からは性的虐待を受けた。 「父からは口淫を強要されました。当時はその行為がもつ意味がわからなくて、成長してから『あれは虐待だったんだ』と気づいて。二次性徴が始まってからぱたりと止み、『昔は可愛かったのにな』と言われた時は、本当に気持ち悪くて……」

「逃げなければ」東日本大震災で気づいた家庭の異常さ

 父からは他にも、口げんかをした時に大事に飼っていたペットを殺されてしまうなど、心理的な虐待を受け続けた。自分の家庭に異常があると気づいたのは、皮肉にも中学三年生の終わり、高校入学間際というタイミングで東日本大震災で被災し、避難所生活を強いられたときのことだったという。  避難所で喚く母、失踪中の父。すみませんと謝ってまわる自分。周囲の家庭環境との差を、Dさんはそのときはっきり自覚した。それが最後の一押しだった。 「逃げなければと思いました。このままこの家族と一緒には暮らせないと」  高校を中退し、17歳から家出同然で友人宅を点々とした。飲食店などで懸命に働いてお金を貯め、19歳で通信制高校を卒業。その後映像関係の仕事をしていたときは夜から早朝にかけての勤務だったため、空き時間だった昼間には近くの大学に聴講生として潜り込んで、福祉について学んでいたという。  夢だった大学進学のため必死にもがいていた、そんな時のことだった。 「都会のほうに出て働いていたとき、親に住所を突き止められて通帳を持って行かれました。口座からお金を抜き取られてしまったんです。もともと親が作った口座で、暗証番号は共用のものらしくて」  体も成長し、肉体的に両親に勝るようになってからは、経済的な虐待にシフトしたのだ。  ほどなくして彼の生活は困窮した。しかし具体的な打開策がわからない。自暴自棄に近い状況の中作ったのがTwitterのアカウントだった。自分のほしいものをリスト化して公開、プレゼントを受け取ることができる「ほしいものリスト」機能を活用し、フォロワーから援助を受けた。一部のフォロワーとは実際に対面で会い、役所での手続きを教わった。

生活保護の手続きに必要な内容のメモ。この時の持ち物は3日分の衣服と、なぜか茶碗やコップなどの食器類だった

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壮絶だった施設の人間模様
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