日本で暮らすミャンマーのロヒンギャ族を直撃。祖国の急変に何を想う?
2021年2月1日、ミャンマー国軍がクーデターを起こし、国民民主連盟(NLD)率いる民主派政府が転覆した。国民的指導者であったアウンサンスーチー氏は拘束され、数々の罪状で訴追されている。
この出来事は、全人口の7割程度を占めるビルマ族だけでなく、同国で差別的な扱いを受けていたイスラム系少数民族・ロヒンギャ族にも大きな衝撃をもたらした。2010年代の民主化傾向の中でも苛烈なジェノサイドに晒され、居場所を奪われてきた彼らは今、何を思っているのだろうか。千葉県に住むロヒンギャ族の男性にインタビューを試みた。
モハメッド・サリムさんは1974年、ミャンマー北部のラカイン州(旧アラカン州)生まれ。同州はミャンマーの中でも最も貧しい地域に当たる。住民は仏教系の少数民族であるラカイン族が6割、イスラム系のロヒンギャ族が3割、その他の民族が1割。支配階層であるビルマ族がほとんどおらず、それぞれ独自のアイデンティティを持つラカイン族とロヒンギャ族で社会が構成されている。
両者はラカイン州という一地域に共存しながら、1978年に実施された国籍審査政策であるナガーミン作戦の際などには、互いに衝突してきた歴史を持つ。
関連書籍による下調べの段階では以上の情報に行き当たったが、モハメッドさんの実感は違うという。
「小さいころ、差別的な扱いというのはほとんど感じませんでした。私の父、祖父の時代にもそこまで激しい差別というのはなかったと聞いています。仏教徒もムスリムもそれぞれちゃんと暮らしてました。キリスト教でも仏教でもイスラム教徒でも……」
モハメッドさんは1991年までミャンマーに在住。同年にバングラディシュに留学し、その後リビアのイスラム系大学に進学した。2003年にはリビアから日本へ。翌年には難民として認定され、その後日本でレストランやスーパーマーケットを経営し、定住し続けている。ミャンマーを出た1991年以来、当局による拘束の恐れがあるため、故郷に戻ることはできていない。
これは筆者の予想だが、大学に進学した経歴などから想像するに、モハメッドさんはロヒンギャ族の中でもエリート層にあたるのだろう。特に差別等を受けた記憶がない、というお話はそのあたりが関係しているのかもしれない。モハメッドさんが民族の問題を意識するようになったのは、ミャンマーを離れて以後のようだ。
しかし、教科書的な理解でいえば、ネーウィン政権による1982年の「国籍法」以来、ロヒンギャ族は土着民族としての公的な資格をはく奪され、無国籍の不法移民として扱われている。ロヒンギャ族という民族名すらミャンマー国内では認められておらず、「ベンガリ(バングラディシュからの不法移民者)」と呼ばれていることが多い。
このように軍事政権下では過酷な状況が続いていたはずなのだが、スーチー氏の台頭に期待感はなかったのだろうか。
「アウンサンスーチーの時代はロヒンギャ族にとってよくなかったです。彼女が心の中で何を考えているかわからない。昔はみんなスーチーをサポートしていたし、今も期待してサポートしている人がいるけど、彼女からロヒンギャ族に何かをしたということはないんですよ。全然助けてはくれなかった」
表情を曇らせるモハメッドさん。ミャンマーで英雄視されているスーチー氏に対しては、複雑な感情があるらしい。
2017年、ロヒンギャ族武装組織であるARSA(アラカン・ロヒンギャ族救世軍)による警察・国軍施設の襲撃事件に端を発し、国軍によってロヒンギャ族の掃討作戦が行われた。国家権力による殺戮――いわゆる”ジェノサイド”の疑惑。スーチー氏は政府指導者としての立場から国際司法裁判所に出廷し、その発言に全世界の注目が集まった。しかし彼女の発言の主旨は、ジェノサイドを否定するものであり、国際的な介入を拒否するものだった。
そして『ロヒンギャ族危機――「民族浄化」の真相』(中央公論新書)によれば、スーチー氏自身も、ロヒンギャ族をバングラディシュからの不法移民だと解釈していた。ロヒンギャ族のスーチー氏に対する不信感は、この点からしても致し方ないだろう。
今回のクーデターとスーチ氏拘束のニュースに対しても、ロヒンギャ族の人々の反応はまちまちだ。
東洋経済オンラインの報道によれば、バングラディシュの難民キャンプでは、スーチー氏拘束の報道に「歓喜」の反応が見られた。期待していたからこその裏切り。ジェノサイドの事実を否定することにより、スーチー氏が消極的に殺戮行為を肯定しているという見方だろう。
一方、毎日新聞の報道によれば、群馬県館林市の「在日ビルマロヒンギャ族協会」は、この動きに抗議の声を寄せた。国軍が再び政権を握ることで、ミャンマー国内のロヒンギャ族の立場は厳しいものになるという考え方だろう。モハメッドさんもこちらの立場であり、「民主派のビルマ族とロヒンギャ族は協力してクーデターに抗議する」と話す。
この両極の反応も、民主化とロヒンギャ族差別の歴史を紐解くと、納得できるところがある。
先に挙げた参考文献、『ロヒンギャ族危機――「民族浄化」の真相』(中央公論新書)では「むしろ民主化がロヒンギャ族への暴力に繋がったのではないか」という重要な指摘がなされている。
民主主義の原則は多数決主義であり、主要民族を構成する人々に権力を与えやすい。途上国ではなおのことそれが顕著で、国家機能が限定的であるが故、集団の連帯感を促す民族的ナショナリズムを利用したがる。そしてそれは最悪の場合、民族浄化の形をとる。
民政移管が始まった2011年の翌年、ラカイン州の仏教徒とムスリムの間で血生臭い紛争が続発したことは、この説を裏付けているような気がしてならない。
結局国軍政権下でも民主派政権下でも、ロヒンギャ族の人々に平和がもたらされることはなかった。クーデターとスーチー氏拘束に対する両極の反応は、「誰が政権をとろうと、ロヒンギャ族はマイノリティであり、多数派に支配され抑圧されるのだ」という意識の表出なのではないだろうか。
意外にも平和だった幼少期
スーチー氏に対する複雑な感情
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