更新日:2021年02月18日 09:27
スポーツ

阪神暗黒時代の1992年、 あと一歩で優勝を逃した絶対的守護神の苦悩

木製バットを折りまくった

 翌日の試合で、同じような場面で登板し、小早川をレフトフライに抑えた。それからだ。来る日も来る日も投げさせられたが、打たれなかった。結果を出すことで自信と誇りが生まれ、手がつけられないような状態になったという。 「社会人でもノーコン、ノーコンで自滅していくタイプだったんで、サイドに転向して2年目から結果が出るようになりました。当時、社会人は金属バットなんで、詰まったくらいの当たりが一番飛ぶんですよ。もうひとつ差し込める球を生み出せば金属でも抑えられるんじゃないかと研究課題にしてました。  ある意味、プロは木製なので楽になりましたね。社会人は本当に空中戦だったので。金属だと詰まらせたと思うとホームランになっていたのが、プロの場合、詰まらせると“ボキッ!”って音がするんです。プロに入った当初はよくバットを折りましたよ。ホームランとピッチャーゴロじゃ、えらい違いですからね」  ルーキーイヤーは、中継ぎ、抑えと大車輪の活躍で、終わってみれば50試合登板 3勝3敗4セーブ 投球回数59回3分の2で奪三振57の成績を残す。

独特の軌道を描くボール

 左腕から繰り出す弓なりに弧を描くボールは、綺麗に、そして鋭くホップしながら打者の胸元へ突き刺さる。打者はただ息を潜んで見送るだけ。ソフトバンクの千賀滉大、オリックスの山本由伸、西武の平良海馬、ロッテの佐々木朗希……例えメジャーで通用するような剛速球投手であろうと、田村のようなホップする弧を描く投手をいまだかつて見たことがない。カクテル光線に照らされる球筋は白い閃光を放っていく。92年の田村が投げる球は、確かに眩しかった。 「92年のシーズンが始まるときは、“今年はイケるやろ”という雰囲気などなかった。開幕のヤクルト戦に負けた後、帰りのバスの中は本当に暗かった。“ああ、今年もダメか”とう感じだった。でも、勝つたびに、“あれ? イケるんと違うか”という空気にだんだんなってきた。前年度最下位で、いきなり優勝争いできると誰が思いますか。開幕から勝つごとに“あれ? いつもと違うぞ”という感覚はみんな持っていたんでしょうし、あれよあれよという間にって感じですよ。投手陣もみんな若かったしね」
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一発のホームランが……
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1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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