スポーツ

阪神暗黒時代の1992年、 あと一歩で優勝を逃した絶対的守護神の苦悩

負け癖がついたチームを生まれ変わらせた力投

田村勤

阪神、オリックスと渡り歩き、2002年に引退。恩師の勧めもあって整体師の道へ入った田村勤さん

 当時の阪神ナインには万年最下位候補と言われ、負け癖がついていた。開幕の対ヤクルト2連戦も初戦を落とし、第2戦8回まで劣勢だった阪神は9回表に古屋英夫(元日本ハム)の起死回生の同点タイムリー。その裏、田村がマウンドに上がり、ピシャリと抑える。  10回表に阪神は一挙3点を取り、田村が広澤、池山の主力打者を簡単に打ち取る。2回を投げ3奪三振無失点。この力投こそが阪神の勢いを芽生えさせたのである。開幕のヤクルト2戦と次の巨人3戦を3勝2敗で勝ち越し、5年ぶりの開幕カード5連戦の勝ち越しで好スタートを切った。  この勢いのまま阪神は4月を12勝9敗、貯金3で終える。この勝ち越しは日本一に輝いた85年に優勝して以来、7年ぶりの4月勝ち越しであった。田村の4月の成績は、10回3分の1を投げ、1勝0敗5セーブ。登板した試合はすべてセーブポイントをあげた。阪神に待望の守護神誕生である。

完全無欠のピッチングの裏で……

 田村の勢いは止まらず、5月も登板したすべての試合でセーブをあげ、2勝0敗6セーブ 投球回数41回3分の0 奪三振81 防御率0.00という脅威の数字を叩きだした。この頃から“神様、仏様、田村様”と奉り、完全無欠のピッチングにファンは酔いしれたのである。 「札幌円山球場で大洋の進藤にホームランを打たれる前あたりから、実は相当きつかったんです。正直“ちょっと休みたいな”とあったけど、チームがいい調子だから休みたくても休めなくて。突然の痛みじゃなかった。前年の疲労が引きずっていましたね。1年目のときも、なんか肘がちょっとおかしいなとはあったんですが、そこまで悪くなるとは……」  92年6月6日、札幌円山球場で阪神対大洋9回戦。この日、2―1と阪神1点リードで迎えた8回裏、一死二塁で田村が登板し、シーツ、畠山を連続三振。これで前回登板の巨人戦から8者連続三振。圧巻の投球に酔いしれる阪神ファン。阪神勝利のムードが漂う中、9回裏に進藤達哉にまさかのホームランを浴び、3―3の同点となり、このまま引き分けに終わった。田村が開幕から積み上げてきた連続セーブポイント15でストップ。守護神田村で勝てなければ仕方がない、と阪神ナインやファンも納得し、長いペナントレースのたったひとつの引き分けになるはずだった。だが、このときすでに田村の肘に深刻な痛みが襲いかかっていたとは誰も知るよしもなかった。<取材・文/松永多佳倫>
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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