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芸人の師弟制度が存在する意味とは?誰もが“芸”を配信できる時代に考える

桂文珍師匠が弟子を破門した優しさ

 これまで数多くの弟子っこたちを見てきましたが、「向いていない子」に対する対応で一番印象に残っているのは桂文珍師匠があるお弟子さんに“破門”を告げられた時でした。  前日まで楽屋で叱責される姿を見ていたのですが、翌日楽屋に伺うと、なにかを手伝おうとする弟子っ子に「いいです、いいです、僕がやりますからありがとう」と。 「(弟子を続けさせて下さい)お願いします!」と涙ながらに懇願する弟子っ子に「昨日も言ったように、あなたには向いていないと思うから、違う道で頑張ってください。ご苦労さまでした。元気でね」と笑顔を絶やさず、すがる弟子っ子を楽屋から出ていくように諭されていました。  私がその光景を見たのは10分足らずでしたが、泣く泣く楽屋を後にして行く彼を見送り「破門されたんですか?」と問う私に、 「根はええ子やねんけどな。この世界には向いてない。そんな子をいつまでも引っ張ってたら、逆にあの子の可能性を奪うことになるから、それはできひんもんな……難しいね」  としみじみとおっしっていました。あの子の可能性を奪うことになるから破門する。これは究極の優しさに繫がるのではないでしょうか。

プロとアマの垣根が低くなった

 最近では、プロとアマチュアの垣根が昔に比べて格段に低くなった時代です。昔なら、舞台とテレビ、ラジオが芸人たちの“仕事場”でしたが、昨今はYoutubeなどを使い、自分の芸を発信して、そこから収入を得ることもできるようになってきました。  テレビやさまざまな動画で華やかな部分、楽し気な様子、高額といわれる収入に魅せられて「俺も!」「私も!」と考えてもなんの不思議もありません。  しかし、現実は過酷です。Youtubeに動画を上げることは誰でもできますが、ファンを獲得してお金を得て生活できている、いうわゆる“成功者”はほんの一握りです。
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師匠のためなら死ねる
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