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川相昌弘が語る、引退試合から数週間後の巨人退団&引退撤回の真相

すべては“チームのため”

川相昌弘

’03年9月14日、東京ドームでの引退試合後、場内を一周しファンに挨拶する川相

 超人気球団、年棒も高水準、アフターケアも万全となれば、プレーヤーとして行かない手はない。さらに巨人で引退するのと他球団で引退するのとでは、メディア露出などの面でもその後のキャリアも大きく変わってくる。ましてや長年レギュラーを張り、21年間在籍した巨人を飛び出すのは、周りからしたら自殺行為に見えても仕方がない。 「大きな組織を飛び出す怖さはありましたよ」と嘯く川相だが、表情には揺るぎない自信がアリアリと垣間見れた。 「21年間巨人にいて、わがままを言ったことは一度もない。チームのため、自分のため、21年間チームに尽くしてきた自負はあります」  この言葉がすべてだろう。そもそも犠打の世界記録「533」という数字が、川相が誰よりもチームのために尽くしたことを如実に物語っている。選手会長として待遇改善のために球団と交渉したこともあったが、それは一般社会でいう労使交渉と同じで決してわがままではない。すべては“チームのため”という思いからだ。

「やっぱり野球を続けたい」

 自分の野球人生のケリは自分でつけたい。完全に消えていたはずの炎がメラメラと再燃し、「やっぱり野球を続けたい」と川相の熱情は一気に沸点に達した。巨人に自由契約を申し込んだのは、プロ野球に入って初めて自分の意思を貫いただけのこと。これをわがままと思うなら思えばいい。俺は21年間、巨人に尽くしてきたんだ。この信念だけは誰に汚されることもなく、川相にとって絶対だった。  しかし、マスコミはそんな川相の純粋な気持ちを知ってか知らずか、あることないことを書きたてた。巨人に自由契約を申し入れたのは、新監督になる堀内恒夫との確執だとまくしたてたのだ……。(第9回に続く) 【川相昌弘】 ’64年、岡山県生まれ。長らく巨人軍のレギュラーとして活躍。通算犠打数533本(成功率.906)は現在も世界記録で、「バント職人」と評されることも。犠打のイメージが強いが、通算1199安打、遊撃手としてゴールデングラブ6回受賞など、打撃・守備でも一流の成績を残す 取材・文/松永多佳倫 写真/産経新聞社
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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