スポーツ

73歳の江夏豊が語る“刀根山マンション籠城事件”の真相「野村が解任される理由はなかった」

大男たちが一投一打に命を懸けるグラウンド。選手、ファンを一喜一憂させる白球の行方――。そんな華々しきプロ野球の世界の裏側では、いつの時代も信念と信念がぶつかり合う瞬間があった。あの確執の真相とは? あの行動の真意とは?’75年、好成績を残しながらも心身ともに疲弊した江夏。野村克也との邂逅で、第二のプロ野球人生が始まる。
江夏豊

江夏豊氏

野村、衣笠との邂逅……江夏が名誉やカネよりも大切にし続けた“仁義”

 あの甲子園のマウンドでどれだけの夢を見せてくれただろうか――。  昭和40年代前半、V9に向け驀進する長嶋、王を主軸とした巨人に真っ向勝負する江夏豊のピッチングは、阪神ファンのみならずすべてのプロ野球ファンが大喝采するほど豪快で痛快な気分を与えてくれた。そんな、球界のヒーローだった江夏は’75年のオフ、9年間在籍した阪神をあとにし、南海ホークスへと移籍する。 「野球自体に嫌気が差していた時期に、野村克也と会うことになった。2時間食事したんだけど、ずっと野球の話で一言も『一緒に南海でやろう』って言ってこなかった。逆に、何も言わなかったことで野村克也という男に魅了された。一言でも『来い』と言われていたら、南海に行かなかったと思う」  野村克也と出会っていなかったら、「江夏の21球」も「リリーフ革命」も「大リーグ挑戦」もすべて夢のまた夢だったのかもしれない。野村との邂逅により球界に残る決意をした江夏は’77年からリリーフに転向。今や当たり前の存在となったリリーフ投手の先駆者として、野球界の転換期の主役に躍り出たのだが……事件は’77年に起こる。シーズン終盤の9月25日、突如として野村の監督解任が発表されたのだ。

刀根山マンション籠城事件

 球団のやり方を不服とした江夏、柏原純一、コーチの高畠導宏は野村が住んでいる刀根山マンションに一緒になって籠城し、球団に対し徹底抗戦。これが、俗に言う“刀根山マンション籠城事件”だ。 「あのときは野球を辞めることになっても仕方がないと思った。野村克也というのは俺の恩師だから。恩師にはついていかないと。若いやつらは悪いレッテルを貼られると将来的にマイナスになるからと諭して帰したけど、自分は『これで辞めても仕方がない』という不退転の覚悟で残り続けた」  遠い過去の出来事を丁寧に掘り起こすかのごとくゆっくりと話す。 「監督が成績不振で解雇されるのは当たり前だが、公私混同による解雇なんて聞いたことがない。サッチー(野村沙知代)がミーティングに参加し、選手たちに指示を出すなどの現場介入したことが公私混同だという。俺が見て知っている限り、一度もバッテリー間のミーティングには参加していない。住んでいるマンションが隣り合わせだったのでよく部屋にも行ったけど、サッチーに邪魔されたとか、でしゃばった行動をすることは一切なかった。まあ、いわゆる反野村派の……。両方の意見を聞かないとわからないから一概に言えないが、自分が見る限り野村克也が解任される理由は何もなかった」
次のページ
終わりを告げた“南海の野村”
1
2
3
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

92歳、広岡達朗の正体92歳、広岡達朗の正体

嫌われた“球界の最長老”が遺したかったものとは――。


確執と信念 スジを通した男たち確執と信念 スジを通した男たち

昭和のプロ野球界を彩った男たちの“信念”と“生き様”を追った渾身の1冊


記事一覧へ
おすすめ記事
ハッシュタグ