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川相昌弘が“電撃退団”の8年後、巨人にコーチとして舞い戻ったワケ

巨人へ8年ぶりに復帰

川相昌弘

川相昌弘氏

 中日は4年ぶりのリーグ優勝を決めたばかりで、通常、日本シリーズが控えたチームは全日程が終了するまで人事には手をつけない。マスコミは「落合監督不仲説」「中日二軍監督は左遷ポスト」といった見出しで煽るなど、いろいろな風評が流れた。 「僕も驚きましたよ。でも、落合さんから『東京のほうへぼちぼち……』と言われました。中日退団が決まってから、巨人から二軍監督のオファーがきたんです」  川相自身も、中日二軍監督の電撃退団と突然の巨人二軍監督就任に驚きを隠せない様子だった。これは憶測の域を出ないが……川相を認めていた落合の親心か、「お前は巨人に戻るべきだ」という計らいがあったのかもしれない。  そうして、「一生戻れない」と覚悟していた巨人へ8年ぶりに復帰。’13年からは一軍ヘッドコーチ、’15年には原がインフルエンザで休養した際に5試合(4勝1敗)監督を代行するなど、第2次原政権には欠かせない男となった。

真のプロフェッショナルの条件とは

「巨人を退団したとき、先のことは何も決まっていなかった。今考えると恐ろしい状況ですよ。でも、中日が拾ってくれて、納得のいく引退をさせてもらって、最終的には巨人でコーチをさせてもらった。僕は幸せ者に違いないです」  川相の言うように、プロ野球は肩を叩かれれば明日にでも“無職”に転じる厳しい世界でもある。そんな世界で長年、チームのために自分の役割を果たすために文句も言わずに犠打を重ね、現役終盤には安泰を捨ててでも己の意志を通した川相。 こうして常に信念を貫いてきたからこそ、人生の岐路に立たされたとき、必ず道が切り開かれた。技を磨き続けることもプロの絶対条件だろう。だが、信念を貫き通すことも真のプロフェッショナルの条件なのだと、川相の背中が語っていた。 【川相昌弘】 ’64年、岡山県生まれ。長らく巨人軍のレギュラーとして活躍。通算犠打数533本(成功率.906)は現在も世界記録で、「バント職人」と評されることも。犠打のイメージが強いが、通算1199安打、遊撃手としてゴールデングラブ6回受賞など、打撃・守備でも一流の成績を残す 取材・文/松永多佳倫 写真/産経新聞社
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

92歳、広岡達朗の正体92歳、広岡達朗の正体

嫌われた“球界の最長老”が遺したかったものとは――。


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昭和のプロ野球界を彩った男たちの“信念”と“生き様”を追った渾身の1冊

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