川相昌弘が“電撃退団”の8年後、巨人にコーチとして舞い戻ったワケ
―[プロ野球界でスジを通した男たち]―
大男たちが一投一打に命を懸けるグラウンド。選手、そして見守るファンを一喜一憂させる白球の行方――。そんな華々しきプロ野球の世界の裏側では、いつの時代も信念と信念がぶつかり合う瞬間があった。あの確執の真相とは? あの行動の真意とは?引退試合の後、引退撤回と自由契約を巨人に求めた川相。巨人を飛び出した男の信念に迫る。
40歳での新天地。チームのため、己のため貫き続けた信念の行方
川相昌弘が21年間在籍した巨人に自由契約を申し入れたことで、さまざまな憶測が飛び交った。マスコミは、原監督に代わって就任する堀内恒夫新監督との確執を面白おかしく書き立てた。
確執が噂された発端は、’98年7月8日、広島との札幌シリーズ2連戦2日目の出来事だ。
この日、朝から激しい雨が降っていたため、デーゲームの開催が危ぶまれていた。巨人ナインは試合会場である円山球場に向かい、10時20分には首脳陣からランニング練習の指令が下った。
豪雨の中、外野の芝生を走る巨人ナイン。デーゲームの中止が10時50分に決まってもランニングは続き、11時にようやく終了。すると、ベンチに戻った清原が鬱憤を吐き散らすように用具室のパイプ椅子を投げつけた。川相も応戦するかのように別室で椅子を蹴っ飛ばすと、当時ヘッドコーチだった堀内が「なんだ、その態度は!」と近くにいた川相を平手打ち。俗に言う“堀内殴打事件”だ。
“堀内殴打事件”とは?
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。
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