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ビッグボス新庄と元日ハム監督ヒルマン氏の数奇な巡り合わせ

辛かった1996年だが……

 1996年には代行になっていた藤田平氏が正式に監督となったが、この年のシーズンオフに新庄氏自らトレード志願をするなど、藤田監督との関係性は最悪だったことは有名である。そもそもシーズン中に藤田平監督は解任となり終盤には柴田猛氏が監督代行となっていた。  ただ、柴田猛氏のもとでは代行となったその日から最終戦までの13戦すべてで新庄氏を4番に起用していたくらいである。また、鉄拳制裁で有名な指導者だった一人であるが、新庄氏がそこを見習うことはないだろう。

ハワイのウィンターリーグで運命の出会い!?

 そんなただ辛いだけだったはずの1996年だが、じつは冬に将来に関わる大切な出会いをしているのだ。1996年オフにハワイのウインターリーグに派遣された先で監督をしていたのは、なんとMLB挑戦後に日本ハムで仕えるトレイ・ヒルマン監督だったのである。  実は日本ハム時代の3年にプラスして2番目に期間として影響を受けていたのはヒルマン監督だったということになる。そんなヒルマン監督についてを含め、野村監督以降に仕えた監督たちの話題は次回に。 文/佐藤永記
公営競技ライター・Youtuber。近鉄ファンとして全国の遠征観戦費用を稼ぐため、全ての公営競技から勝負レースを絞り込むギャンブラーになる。近鉄球団消滅後、シグナルRightの名前で2010年、全公営競技を解説する生主として話題となり、現在もツイキャスやYoutubeなどで配信活動を継続中。競輪情報サイト「競輪展開予想シート」運営。また、ギャンブラーの視点でプロ野球を数で分析するのが趣味。
Twitter:@signalright
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