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ビッグボス新庄と元日ハム監督ヒルマン氏の数奇な巡り合わせ

新庄剛志は野村チルドレンなだけではない

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写真はイメージ

 2022年のプロ野球では3人の1軍新監督が指揮をとるが、話題の中心は新庄剛志ビッグボスだろう。野村克也氏に仕えたことのある選手が監督として5人を占めるように「野村チルドレン」の一人としても注目されている。  そんな背景から自由な発言のようで考えられているという前評判が高い新庄剛志ビッグボスだが、野村監督の元で野球をしていたのは1999年から2000年の2年間。振り返ればそれ以上に長いこと仕えた監督が他にもいるのである。  果たしてビッグボスが監督として最も影響を受けたのは誰なのか? 過去の現役生活時に新庄剛志が仕えた監督を一覧にしてチェックしてみよう。

阪神時代に最長5年近く仕えた中村勝広監督時代

 まずは1990年にドラフト5位で阪神入団し、1年目と2年目の秋までは2軍で過ごした。このときの2軍監督は石井晶氏。石井氏は現役時代、’60年代の阪急ブレーブスで1塁のレギュラーだったバリバリの主力だった。1971年に引退した翌年からコーチとして長きにわたって活躍しており、あの福本豊とサイン交換する3塁コーチだったと聞けば有能さが伝わるだろう。  1992年からは基本ずっと1軍であった新庄剛志にとって理想の2軍監督像は石井晶氏である可能性は極めて高く、今年の日本ハムで2軍監督となる木田優夫氏がこれに応えられるかどうか、注目だろう。  そして新庄剛志氏にとって1軍で最長期間となる約5年間仕えたのが中村勝広監督。入団2年目1991年の終盤に見いだされ1軍出場してから1995年の途中休養までだった。  2年目の活躍から「亀新フィーバー」で人気選手となり、チームは優勝争いで2位となってそれまでの暗黒時代を脱したかにみえた成績を残したものの、翌年からは野田浩司放出など編成面でのかみ合わせが悪かったこともあり、最終年となった1995年には途中休養で2軍監督だった藤田平氏が代行となる結末だった。  中村勝広氏についてはその後オリックス監督やオリックス・阪神でGMとしての経歴を持つが、1992年の優勝争い以外ではあまりプラスのイメージがないのが正直なところである。ただ、新庄氏にとっては良い時も悪い時も同じ監督のもとで経験したことが財産になっている可能性が高いだろう。
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'96年冬の出会い
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公営競技ライター・Youtuber。近鉄ファンとして全国の遠征観戦費用を稼ぐため、全ての公営競技から勝負レースを絞り込むギャンブラーになる。近鉄球団消滅後、シグナルRightの名前で2010年、全公営競技を解説する生主として話題となり、現在もツイキャスやYoutubeなどで配信活動を継続中。競輪情報サイト「競輪展開予想シート」運営。また、ギャンブラーの視点でプロ野球を数で分析するのが趣味。
Twitter:@signalright

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