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阪神はいつまで「バースの再来」を期待するのか。大スターと比較される新外国人選手の辛さ

 春先になると毎年話題になるプロ野球の風物詩がある。それは「バースの再来」について。この言葉の定義はないが、「阪神の新外国人がバースのように活躍できるのか」という期待、もしくは「阪神がバースがいた年のように強くなれるのか」といった希望を込めて使われている。しかし近年は、もはやネタとして扱われてしまう言葉になってしまった。  もちろん、「ランディ・バースのような外国人が再び阪神に現れたら……」というファンやマスコミの願いが強いのは人気球団ならではではあるが、「バースの再来」を期待してしまう理由はそれだけではないようである。今回はランディ・バース選手の成績を振り返り、なぜ毎年のようにバースの再来が期待されているのか整理してみよう。
バースの再来

写真はイメージ

2度の三冠王と日本一という圧倒的な結果を叩き出したバース

 まずはバースがもつ1985年と1986年にわたる「2年連続の三冠王」。これを超える外国人選手なんてそうそう現れるワケがない。なので、本当にバースの再来としてバース並の成績を残す外国人選手が現れたらとんでもないことなのである。  そして1985年の阪神は、球団史唯一の日本一になっている。コレがなにより大きい。前年にブーマー・ウェルズが三冠王になってリーグ優勝に導いたが、阪急ブレーブスはこの年日本一にはなっていない。  助っ人外国人選手が三冠王を達成し、且つ日本一に導かなければ「バースの再来」といえないとなると、今後それを達成する選手が現れる可能性は極めて低いだろう。そもそも阪神がそれ以来一度も日本一になっていないことも、引退して30年以上が経った今でも彼の名が語り継がれている理由なのかもしれない。

バースだって三冠王&初タイトルは来日3年目

 バースは1983年から阪神に在籍している。1年目は開幕前に骨折、さらには外野を守っていた時もあるなど、起用が最初からスムーズだったわけではない。2年目は打率.326と結果を出したものの、夏に故障で試合に出ていない時期があった。  つまり、バースがほとんどの試合に出場して三冠王になるまでには3年の時間がかかっているのである。伝説となったバースでも3年かかっているのに、1年目でイマイチだった新外国人選手に「バースの再来じゃねーじゃん」というのは本来無理があるのだ。なかなか日本一になれない阪神の救世主となる外国人選手に期待している言葉なのは理解しているが、昭和の大スターを引き合いに出される令和の新外国人選手も辛いだろう。
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今年こそバースの再来なるか
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公営競技ライター・Youtuber。近鉄ファンとして全国の遠征観戦費用を稼ぐため、全ての公営競技から勝負レースを絞り込むギャンブラーになる。近鉄球団消滅後、シグナルRightの名前で2010年、全公営競技を解説する生主として話題となり、現在もツイキャスやYoutubeなどで配信活動を継続中。競輪情報サイト「競輪展開予想シート」運営。また、ギャンブラーの視点でプロ野球を数で分析するのが趣味。
Twitter:@signalright

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