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「ついキレてしまう」の嘘。「怒りをぶつけても良い相手だからキレている」が正しい

「怒りを我慢する」と「傷ついている自分を認める」事は全くの別もの

 仮にキレるという行為をこのように理解すると、キレないようにするための方法はたくさん思い浮かびます。 ・自分の傷つきや悲しみを認められるようにする ・適切に愚痴をこぼし、甘え、頼る力を身につける ・上下関係の中での一方的な強要と甘受意外にも、人には対等な関係があることを知る ・他者と一緒に共有可能な解釈を作る能力を身につける  GADHAでは、これらはどれも「能力」であり学習可能だと考えます。性格だとか人格だとかを理由に学べないと考える立場がありますが、僕はそう考えません。  時に加害者の人は「キレないように我慢するなんて無理だ」と言います。しかし、実は我慢するという考え方は根本的にズレている、とGADHAでは考えます。  上記の方法は全て「怒りを我慢する」こととは全く別のことです。そうではなく、むしろ「傷ついていることを認める」ことから全てが始まることを示唆しています。 「傷ついていることを認める」にはどうしたらよいか、ということが次の疑問になるでしょう。もっと深く問い直すならば「なぜ、加害者は自分が傷ついていることがわからない、認められないのか?」と言い換えることができるかもしれません。

「キレない能力」を後天的に身につけることは可能

 本記事では文字数の都合でGADHAの理論を大幅に簡略化してお伝えしているため詳細は書けませんが、その背景には以下のようなことがあるとGADHAは考えます。 ・養育環境において傷ついていることが認められなかった ・例えば「甘え」だとか「弱い」だとか言われてきた ・男はこうあるべきといったジェンダー観が背景にある場合も ・傷つきを認めると評価されない部活や学校や職場の制度の影響  このような意味においては、加害者とは生まれ育った家庭・社会環境において「弱さを認めない方が良い」と育てられ、結果として「他者を支配することでしか自分をケアできない」人間になってしまったと言うことができます。  しかし、そのようなケアの方法は持続不可能です。なぜなら、そのような不器用で暴力的なセルフケアに巻き込まれる人間からすれば、その関係は地獄そのものだからです。  キレてしまうという人も、上記の能力を身につけることで、いつのまにかキレなくなっていきます。自分も他人も傷つく存在であることを認め、そのケアを依頼し、してもらえたら感謝し、相手の傷つきをケアし、それに感謝してもらう関係に生きる幸福を知るからです。  それは「我慢する」というようなネガティブな変化ではなく、むしろ他者と生きる幸福を知ることに他なりません。 <被害者のためのDV・モラハラを見抜くポイント> もしもあなたのパートナーが「いつもよくわからないことでキレる」「言うことがコロコロ変わる」ため、一緒にいると常に不安でおどおどしてしまう場合は、すでに被害を受けている可能性があります。特に、あなたの愚痴や弱音を受け止めず「それは甘え」と断ずるようなタイプには要注意です。あなたがいくら相手に忖度し、気を遣っても、感謝やケアが返ってくることはありません。 <加害者のためのDV・モラハラを自覚するポイント> もしあなたが「キレてしまうのは仕方ない」と思いつつも「キレることで、周りから人がいなくなってしまう」と感じているのであれば、必ず変わることができます。キレてしまうのは仕方がないことではありせん。  あなた自身が誰かと – 職場の同僚や部下であれ、パートナーであれ、お子さんであれ – 幸せな人生を生きるために、学ぶことで変わることができます。すでにたくさんの同じ悩みを持った人(警察や児童相談所を呼ばれているレベルの人)が大きな変容を遂げています。
DV・モラハラなど、人を傷つけておきながら自分は悪くないと考える「悪意のない加害者」の変容を目指すコミュニティ「GADHA」代表。自身もDV・モラハラ加害を行い、妻と離婚の危機を迎えた経験を持つ。加害者としての自覚を持ってカウンセリングを受け、自身もさまざまな関連知識を学習し、妻との気遣いあえる関係を再構築した。現在はそこで得られた知識を加害者変容理論としてまとめ、多くの加害者に届け、被害者が減ることを目指し活動中。大切な人を大切にする方法は学べる、人は変われると信じています。賛同下さる方は、ぜひGADHAの当事者会やプログラムにご参加ください。ツイッター:えいなか

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モラハラ、パワハラ、DV
人間関係は“ことば”で決まる

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