更新日:2023年11月09日 14:18
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江戸幕府の痛いところをついた“抵抗勢力”たちの末路

改革に待ったをかけた矢部は、喝采を浴びるが……

 加えて矢部は遠山と共に、水野が経済政策の一環として行う風俗取り締まりにも反対していたらしい。このことを示すのが、天保14年(1843)に出版された歌川国芳の浮世絵『源頼光公館土蜘作妖怪図』である。
日本史フルネス

『源頼光公館土蜘作妖怪図』。優れた武人として名が残る平安時代中期の武将・源頼光とその家臣団が土蜘蛛という妖怪を退治した伝説を描いた浮世絵。源頼光らは天保の改革を断行する水野忠邦や江戸幕府の暗喩とされ、対抗する妖怪たちは天保の改革の犠牲になった庶民たちに見立てられた。歯のない妖怪は噺家(はなしか)、頭から小人が出てきた乱髪の女は女髪結いを示したとされる(国立国会図書館所蔵)

 この図は一見すると、平安時代の武士・源頼光とその家臣である四天王が土蜘蛛という妖怪を退治した伝説を題材とした浮世絵である。しかし8月頃から、実は天保の改革を風刺した絵である、という評判が立つようになった。  図の右上で気だるそうに床に臥している源頼光が指導力欠如の将軍徳川家慶、家慶の左にいる沢瀉(おもだか)の紋様の袴を着た卜部季武は老中首座の水野忠邦である(水野家の家紋は沢瀉)。残りの四天王(渡辺綱・坂田金時・碓井貞光)はそれぞれ真田幸貫・堀田正睦・土井利位の三老中を指すとされている。頼光らを狙う妖怪たちは、歌舞伎役者の市川海老蔵・噺家(落語家)・隠売女(非合法の売春婦)・女浄瑠璃・女髪結いなど、水野の風俗取り締まりで弾圧された人々に見立てられていると解釈された。  そして頼光に迫る土蜘蛛は、その頭部の斑点や瞳が矢部家の家紋(三つ巴)に似ており、また土蜘蛛が持つ敷布の形が駿河の富士山に似ている(矢部は駿河守)ことから、矢部定謙の暗喩だという噂が広まった。  天保12年(1841)12月、矢部は5年も前の些細な失態を蒸し返され、町奉行を罷免となる。水野は“抵抗勢力”である矢部をむりやり排除したのである。天保の改革に反発する江戸庶民は、水野に逆らって失脚した矢部に同情した。この浮世絵はそのことをよく表している。  だが、いま矢部の名を知る者はほとんどいない。将軍家慶の信任により失脚の危機を乗り越え、「江戸三座」移転問題で最後まで反対の論陣を張ったことで、芝居関係者から深く感謝された「遠山の金さん」こと遠山景元とは雲泥の差である。  抵抗勢力というレッテルを貼られた矢部は、暴走する天保の改革に巻き込まれた被害者の一人だ。彼の声が後世にまで届かなかったことは、非常に残念なことではないだろうか。

今週のフルネス

歴史の記憶から消された“抵抗勢力”の正論を掘り起こして現在に活かそう
1980年、東京都生まれ。日本中世史を専門とする歴史学者。’16年に刊行された『応仁の乱‐戦国時代を生んだ大乱』(中公新書)は、48万部を超えるベストセラーとなり、歴史学ブームの火つけ役に
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