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初代プリウスは何が偉大だったのか? 現在の相場は20万円以下

初代プリウスとは

雪道も難なくこなす

 初代プリウスは、2代目以降とは異なり、はっきりとした3ボックスタイプのセダン型でした。しかし、そんなオーソドックスなセダンという形状でも、「未来」を感じられる雰囲気で、特に室内のセンターメーターなどは新鮮だったといえます。  初代プリウスといっても、1997年12月に登場した前期型と、2000年5月にマイナーチェンジされた後期型が存在。両者の見た目はほぼ同じように見えますが、前期はNHW10、後期はNHW11と型式が異なります。  実は、NHW10が販売されたのは基本的に日本国内のみで、海外に輸出されたのはNHW11から。また、NHW10と11とでは、メカニズムが大きく異るようで、NHW11は俗に「1.5世代型」とも呼ばれているほど、内容が異なるわけです。  なお、海外輸出されたプリウス(NHW11)をいち早く購入し、話題を集めたのがレオナルド・ディカプリオでしたが、当時は「プリウスを買う」ということが話題を集めるぐらい、特別なことだったのです。

1997年12月デビュー前までのワクワク感がすごかった

 初代プリウスが登場する前、日本では「TOYOTA ECO PROJECT」というCMが放映され、環境をテーマとしたトヨタの取り組みや問題点等がアピールされていました。そのCMの中に、「電気、ガソリン、電気、ガソリン」とナレーションされているものがあったのですが、それがまさに、この初代プリウスへの伏線だったといえます。私の記憶によると、CMで使われていたのはマークII(90系)だったのですが、インパネ部分しか写っておらず、もしかしたら開発時はマークIIにもハイブリッドシステムを搭載して実験していたのかもしれません。  そして、プリウスという名前のクルマは、1997年12月に発売される前の1995年から東京モーターショーでプロトタイプが公開され、その後は東京アムラックスでも常時展示されているなど、デビューの数年前からアピールされていたわけです。  90年代の日本では、「ガソリン車が変わる」というのは、まさに未来の感覚だったわけで、日常が「どんどん未来になっていく」という実感がありました。  そういった伏線があったなか、1997年12月にプリウスは「21世紀に間に合いました」というキャッチコピーで販売開始されたわけですが、同年1月頃から放映された「TOYOTA ECO PROJECT」のキャッチコピー、「あしたのために、いまやろう」と相まって、個人的には、トヨタが未来への道筋を作ってくれたと感動した記憶があります。

1997年当時の「TOYOTA-ECO-PROJECT」CM(Youtubeより)

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初代プリウスの現状
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1986年生まれ。日本初の腕時計投資家として、「腕時計投資新聞」で執筆。母方の祖父はチャコット創業者、父は医者という裕福な家庭に生まれるが幼少期に両親が離婚。中学1年生の頃より、企業のホームページ作成業務を個人で請負い収入を得る。それを元手に高級腕時計を購入。その頃、買った値段より高く売る腕時計投資を考案し、時計の売買で資金を増やしていく。高校卒業後は就職、5年間の社会人経験を経てから筑波大学情報学群情報メディア創成学類に入学。お金を使わず贅沢する「ドケチ快適」のプロ。腕時計は買った値段より高く売却、ロールスロイスは実質10万円で購入。著書に『腕時計投資のすすめ』(イカロス出版)と『もう新品は買うな!』がある

もう新品は買うな!もう新品は買うな!

もう大量消費、大量生産で無駄遣いをするのはやめよう


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