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千葉の実家に7年間ひきこもった30歳男性がルーマニアで小説家に…“異世界転生”の一部始終

ルーマニア冒険で出会った仲間たち

「一度は”心の故郷”ルーマニアへ行ってみたい」という済東さん

「一度は”心の故郷”ルーマニアへ行ってみたい」という済東さん

“なろう系”の冒険譚には、一人では進めない主人公を助けてくれる、パーティなどの仲間も必須だ。  友達もできた。25歳のルーマニア人女性エンジニア「やみ」さんとは、毎日メッセージで、その日あったことをやり取りする仲だ。友達申請をたくさんしている時期に「誰?」とメッセージで聞かれたという。済東さんが「ルーマニア文化が好き」と言うと「私は日本文化が好き!」と会話が弾んだ。彼女は日本が好きで、「闇」を意味するハンドルネームをつけているのだと言う。  済東さんいわく「めっちゃオタクで、私よりもマンガやアニメは知っている」という「やみ」さんは、済東さんにとって「いろんなことを気軽に話せる、マジでルーマニア一番の親友。彼女との他愛ない会話が、結構生きる励みになっている」、かけがえのない関係だという。  また、いちばん最初に文芸誌に載せないかと声をかけてきた「ミハイル」も親友だ。済東さんは今でもルーマニア語で作品を書いた時は真っ先に彼に見せ、作家としても絶大な信頼を寄せている。  そんなミハイルさんに、フェイスブックでインタビューしてみた。  野武士のようなひげ面の強面ながら、優しく丁寧に英語で話してくれるミハイルさんは、当初は済東さんのことを疑っていたという。 「彼をフェイスブックで見た時、最初はルーマニア人の男が、日本人を装っていたずら投稿しているのかと思った。けれど彼の『日本の暗黒面』についての小説を読むと、実に新鮮で日本人にしか出せない味わいだと思ったんだ。そして実際に日本のサイトを検索してみると、彼は実在していたんだ」(ミハイルさん)  しかし今では「彼の文学を全面的に支援したいと思っている。知っている編集者全員に広めたいし、彼のルーマニア語をバックアップしてくれるライターも用意している。まず彼の熱意と決意に感銘を受けている。書くスピードもとても速い。作家としての成長も急速だ」と大きな評価をしている。  そして「この3年間、私たちはたくさんの話をした。芸術や文学、そして私たちの人生や考えを。もし彼がルーマニアに来ることができたら、親友として迎えたいと思う」とミハイルさんも友情を感じている。   済東さんは「今では、日本人よりもルーマニア人のほうが友達が多い」という。いつか、ルーマニアへ行く時はあるのだろうか。  済東さんは2021年にクローン病が発覚した。クローン病とは小腸や大腸などに慢性的な炎症を起こす指定難病で、食事や排便等の事情で外出が制限される。90kgあった体重も。50kgそこそこに減少した。また、過去の経験から飛行機などに恐怖心があり、遠出には抵抗もある。  しかし済東さんは「会ってみたい。一回くらいは絶対にルーマニアに旅をして、皆にお礼を伝えたい」と語っている。

“ラスボス”はルーマニアの文学マーケット

初の自伝を手にして、笑顔の済東さん

初の自伝を手にして、笑顔の済東さん

 友達ができて、作家としても活躍する済東さんだが、経済的な自立の問題が残っている。  ミハイルさんによると、ルーマニアでの済東さんは「ルーマニアで小説家として生きようとするクレイジーな日本人」として、文学界ではすでに多くの人が知っている。みんな興味津々なのは確かだ」と、その知名度はかなりのものらしい。  しかし、ルーマニアはヨーロッパの中でも商業出版の規模が極端に小さく、職業としての小説家が成り立たちにくい状況にある。  ミハイルさんは「ルーマニアの機能的非識字率(文字を読むことができても、文章などは読めない)は42%。ゆえに、書くことで収入を得ている作家は非常に少ない。出版される本のほとんどは500部もいかないのだ。これは一か月の最低給料の半分くらいの数字だ。作家たちは、文学の愛のためだけに書いている」とルーマニア出版界の事情を説明する。そして「ルーマニアで小説家になりたいと願うテッチョーは、まるで風車と戦うドン・キホーテのようだ」と笑う。  済東さんもまたルーマニア作家としての社会的地位はあるが、収入はほぼない状況なのだ。しかし、かけがえのない自尊心と居場所を手に入れた。済東さんは「ネットがあれば、ひきこもりでもやれることはあるし、今ここでしかやれないこともある」と言う。  また「鬱だったが、明るくなったとは思う。引きこもりながらも、社会に自分を開けるようになってきた。基本的に後ろ向きだけど、後ろ向きだからこそ引きこもって、自分なりには“偉業”を成し遂げられた」と語る。  そんな済東さんの活動が目にとまり、日本での自伝出版も決まった。今年2月7日には『千葉からほとんど出なかった引きこもりの俺が、ルーマニア語の小説家になった話』(左右社)が発売され、現在4刷が決定。
初の自伝が出版され「感謝を伝えたい」と製本工場へ見学に行く済東さん

初の自伝が出版され「感謝を伝えたい」と、製本工場へ見学に行く済東さん

 今後はルーマニア文学界での活動を継続しつつ、日本でもエッセイストなどとして仕事ができればと言う。  確かに、ルーマニアでは小説家という仕事は稼ぎにくく、済東さんは「(儲からないからこそ)お金と癒着せず、純粋に書きたいものだけを書ける。名誉だけがもらえる。芸術はこうあるべき」と良い面を見ている。  しかし盟友で編集者のミハイルさんは「もしルーマニアで彼の小説が出版されれば、彼の最初の本はよく売れるだろう。これは保証できる」と語っている。日本からやってきたドン・キホーテは風車を打ち倒し、文章で生計を立てることも夢ではないのかもしれない。これからの済東さんのルーマニアでの、そして日本での躍進に注目したい。 文・写真/遠藤 一
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