更新日:2023年09月01日 15:04
スポーツ

全額返金チケット、100万円で監督と会食…下落したベイスターズの観客動員数を回復させたDeNAの驚きの手法

横浜スタジアムの経営権を取得し“楽しく過ごせる場所”に

1998年の遺伝子

佐々木と谷繁のバッテリー

 さらにDeNAの経営陣は、MLBのボールパーク(野球場)の視察に出た。心を打たれたのは横浜の姉妹都市で、同じく港町のサンディエゴにあるペトコ・パークだった。  この球場は’00年代初頭に「ボールパーク・イン・ザ・パーク」のコンセプトの下、“公園の中にある野球場”をリアルに体現した球場で、試合のない日は公園と球場の境界(フェンス)を部分的に取り払い、市民の憩いの場として開放。試合のある日は、公園の外周にもぎり(ゲート)を設置し、公園全体がコンコース化される工夫が施される。  試合の有無によって敷居の定義が変わり、球場の中から街が一望できる眺めもウリとなっていた。  こんな球場を自前で用意できればチームのポテンシャルも拡大できる――。DeNA経営陣は、横浜スタジアムとの話し合いを重ね、友好的なTOB(Take Over Bid)でこれまで別だった横浜スタジアムの経営権を取得した。  アクティブサラリーマンに突き刺さる二の矢、三の矢が次々と放たれた。ベイスターズオリジナルクラフトビール、ハマスタキャンプ、ビアガーデン。野球好きもそうでない人も、女性同士でも気軽に集まって楽しく過ごせる場所。

横浜と共存し、ファンや街に寄り添うベイスターズ

 従来型のプロチームがやりがちな「こっちを向かせる」アプローチとは真逆。ファンや街に寄り添ったベイスターズが、横浜と共存を始めた。数年前まで閑古鳥が鳴いていたスタジアムのチケットは、瞬く間にプラチナチケットとなり、今では12球団で最も入手が困難な球場のひとつとなった。  事実、球団の観客動員数は’12年の117万人から’19年の228万人となる1.98倍を記録した。  6割勝てば御の字のプロ野球興行で、最初に「負けたけど楽しかった」という雰囲気づくりに成功したベイスターズ。それは現在のチームづくりにも影響を与えている。 撮影/小島克典 写真/時事通信社
1973年、神奈川県生まれ。日大芸術学部卒業後の1997年、横浜ベイスターズに入社、通訳・広報を担当。'02年・新庄剛志の通訳としてMLBサンフランシスコ・ジャイアンツ、'03年ニューヨーク・メッツと契約。その後は通訳、ライター、実業家と幅広く活動。WBCは4大会連続通訳を担当。今回のWBCもメディア通訳を担当した。著書に『大谷翔平 二刀流』(扶桑社)ほか
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