スポーツ

甲子園“慶応の応援”に賛否も、「フェアじゃない」という批判を筋違いに感じた理由

近年の高校野球の応援と大きく異なる点とは?

甲子園 過去にも甲子園には圧倒的な応援を繰り広げる高校が出場しました。近年では大阪桐蔭や美爆音でおなじみの習志野高校の吹奏楽部などが記憶に新しいところです。  彼らの応援スタイルは、自チームの後押しをするために力を尽くすところにありました。あくまでもポジティブなエールであり、仲間の結束を強めるための“美爆音”だったのですね。  慶應の応援はこの点で異なっていました。その音の壁は甲子園球場全体を支配し、相手をまるごと飲み込み、もはや存在しているのは慶應高校だけであるというムードを醸し出していたからです。試合展開を読んだうえで音響のアドバンテージを使うなんていう小細工すらなかった。  最初から慶應高校が絶対的に上位であり支配するという構造を確かなものにするためだけにあらゆるリソースを投入したのです。  つまり、心情的に味方を勇気づけるのではなく、いわば合法的に相手の戦意を削ぎ、慶應高校がスムーズに試合に入れるような環境を整えるための大音量だった。これが近年の高校野球カルチャーとは大きく異なる点だったのだと思います。

“お仕着せ”のフェアプレー精神

 しかしながら、これが“フェアネスに欠ける”との批判を受けてしまったわけですね。その背景にあるのが高野連からの通達でしょう。2016年版の神奈川高野連の応援規定に、次のような記載があります。 <相手校の攻撃の際は、試合の流れを見ながら拍手や声で、時には投手を、または、チーム全体を励ますのが応援のマナーと心得ること。相手校選手のプレーを妨げるような騒音や、相手校を中傷するような野次を発してはならない。 [注意]日本高野連の通達により、相手校に対して『◇◇倒せ』『やっつけろ◇◇』のような応援や『打倒◇◇高校』のような横幕などの使用を禁止する。 応援は自校のチームおよび選手の激励・賞讃とし、相手校に対しては、健闘を称えるものに限る。> (神奈川高野連 応援規定 2016年 太字筆者)  なぜこんなことをいちいち高野連から指導されなければいけないのか謎ですが、お仕着せのフェアプレー精神の一端が垣間見える事象ですね。大事なところでホームランを打ったり三振を取ったりしてもガッツポーズは禁止。チームの士気をあげるためのパフォーマンスもNG。ヌートバー選手のペッパーミルを真似た高校も注意されていましたっけ。  確かに相手へのリスペクトは大事です。しかし、真剣に勝ち負けを競う中で、最大限相手にも配慮しつつそれでも全力を尽くして勝利を目指せなんて、どんな縛りプレイだよ。
次のページ
何のために応援するのか?
1
2
3
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4

記事一覧へ
おすすめ記事
ハッシュタグ