広島・坂倉が“日大三を選んだ”理由。甲子園には縁がない3年間でも「一生の財産」
8月6日に第105回全国高等学校野球選手権記念大会が始まった。西東京代表の日大三は大会4日目の第2試合で兵庫の社と対戦することが決まっている。2019年の12月、「『一生懸命』の教え方」(著者・小倉全由/日本実業出版社)を上梓するにあたって、小倉全由前監督に取材を行った。本記事では、同校のOBで現在は広島東洋カープで活躍している坂倉将吾について高校時代のエピソードを中心に記す。
小倉氏は日大三の監督時代、今でも印象に残っていることがある。今から11年前の2012年12月、日大三の名物となっている冬の強化合宿の最中、グラウンドからレフト後方のネットに目を向けると学生服を着た少年とその父親らしき人の姿があった。
「おい、あそこから見ているのは坂倉じゃないのか?」
小倉氏は隣にいた三木有造部長(当時。現日大三監督)とそんな会話をしていた。この年の秋、小倉氏は中学2年生の坂倉と一度会って少し話をしていた。千葉の八千代中央シニアの試合を見たときに、捕手として肩が強く、シェアな打撃をする坂倉が印象強く残っていた。
小倉氏は三木部長を通じて坂倉本人と彼のお父さんを呼び寄せると、日大三の合宿所内の食堂内でいろいろな話をした。すると最後に坂倉本人が、「来年、高校受験をするときには日大三を受けたいと思っています」と言ってくれた。
翌13年、中学3年生になった坂倉はさらに腕を磨き、チームとしてもシニアの全国大会で見事に優勝を果たし、彼の元には千葉県内外の30前後の高校から勧誘があった。だが坂倉は、「日大三で野球をやりますので」とすべての誘いを断り、小倉氏の下で高校生活を送ることを決意。初志貫徹を果たす。
小倉氏は坂倉が日大三を選んでくれた際の、当時の心境についてこう語る。
「甲子園で全国制覇を狙えるような強豪校からも誘いがあったと坂倉本人から聞きましたが、それも断ってウチに来てくれたんです。『野球だけでなく人間力も磨きたかった』と言ってくれて、その志の高さには本当に感心しましたよ」
今でも印象に残っている「中2の坂倉」
引く手あまたの中、日大三を選ぶ
スポーツジャーナリスト。高校野球やプロ野球を中心とした取材が多い。雑誌や書籍のほか、「文春オンライン」など多数のネットメディアでも執筆。著書に『コロナに翻弄された甲子園』(双葉社)
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