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夫に出す食材を「痛む寸前まで放置」してしまう妻。その心理の裏にあるものとは?

相手と自分のニーズの両方を尊重することで、良い関係性を作れる

 僕はCさんに聞いてみました。 「今も、それがワガママだと思いますか?」 「えっワガママです……あっ、ワガママじゃないんでしょうか……? わかりません」  Cさんはだいぶ混乱した様子でしたが、しばらく時間をかけて考えてくれました。そして数日後、サッパリした様子で以下のように報告をくれました。 「わかりましたよ! 麦茶は甘いのがいいとか、好みの問題だと思います。ワガママじゃないと思います。太るのがイヤなら他のものを減らすとか、工夫すればいいことです。あとチャーハンが食べたい、に至っては、質問されたから正直に答えただけで、ワガママでも何でもありません。誰だって食べたいものを食べたいと自由に言っていいし、好きなものを食べていいと思います。健康に気を遣ったほうがいいとは思いますけど」  その後Cさんは、椎茸は安いときにまとめ買いして冷凍するという技を覚え、買ってきてすぐと同じ状態で調理して出すように工夫していると僕に教えてくれました。 「平日夜は、魚は焼くだけ肉は炒めるだけ。なるべく早く食卓について早く寝たいという夫のニーズを優先します。でも休みの日や私に時間がある日などは、私が作りたいものを作ったり私の好みを優先したりしています。食べ始めるときにそのことをちょっと説明もするようになりました。夫は理解してくれ、美味しそうに食べてくれるようになり、食事の時間が充実しました」  Cさんは、ご飯どきにお互いのニーズをバランスよく満たし合ってる様子を、はにかみながら教えてくれました。 「ニーズを表現すること、ケアで満たすこと。同時に両方のニーズがケアできないなら交互に。こうやると穏やかな関係が続きますね。GADHAに入って学びました」というCさんの言葉に、僕も嬉しくなりました。

嫌なものは嫌、と伝えてもいい。そして、加害者にも深い傷つきがある

<被害者かもしれないあなたへ>  家庭で、食卓に腐りかけたものや好きでないものが並んで、食べねばいけない雰囲気になったという経験を持っている人は多いと思います。感謝して残さず食べなさいなどと強要され、不愉快な思いをすることがあるかもしれません。  また、好物を食べたいと伝えたら叱られた、ワガママだと言われたという人もいるかもしれません。しかし、傷みかけたものや苦手なものは、無理して食べる必要はありません。また、料理を作ってくれる人に、自分の希望を伝えてみるのは、悪いことでもなんでもありません。  こちらが作ってもらう立場だと、言いづらい、または言ってはいけないと感じがちかもしれませんが、嫌なものは嫌と伝えることに罪悪感を覚える必要はありません。 <加害者かもしれないあなたへ>  人を傷つけてしまう時、傷つけていることを認められないことがあります。このくらい大したことがないし、自分だってされてきたし、傷つく方がおかしいのだ、そんなふうに思ってしまうことがあります。  もしかしたら、その背景には、認めることのできない自分の傷つきや悲しみがあるかもしれません。それを認めることはとても恐ろしいから、考えたくもないし、記憶に蓋をしている人も少なくありません。親を否定せざるを得ないようなこともあります。  加害者の変容プロセスでは、「これまでずっと見ないふりをしていた、心のゴミ箱のようなものがある。そこに、ドス黒いものはなんでも詰め込んできたのですが、少しずつ開けていくと、苦しいのですが、楽になってもいます」という話が出ます。  もしかしたら、誰かを傷つけているあなたにも、認めることのできないほど深い傷つきがあるのかもしれません。
DV・モラハラなど、人を傷つけておきながら自分は悪くないと考える「悪意のない加害者」の変容を目指すコミュニティ「GADHA」代表。自身もDV・モラハラ加害を行い、妻と離婚の危機を迎えた経験を持つ。加害者としての自覚を持ってカウンセリングを受け、自身もさまざまな関連知識を学習し、妻との気遣いあえる関係を再構築した。現在はそこで得られた知識を加害者変容理論としてまとめ、多くの加害者に届け、被害者が減ることを目指し活動中。大切な人を大切にする方法は学べる、人は変われると信じています。賛同下さる方は、ぜひGADHAの当事者会やプログラムにご参加ください。ツイッター:えいなか

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人間関係は“ことば”で決まる

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