「相手のためを思ってアドバイスすること」がモラハラになる理由
相談に乗っているつもりで、相手に不快感を与えていませんか?
DV・モラハラ加害者が、愛と配慮のある関係を作る力を身につけるための学びのコミュニティ「GADHA」を主宰しているえいなかと申します。
コミュニティではさまざまな悩みが共有されるのですが、共通するものがたくさんあります。今回は、次のような相談です。
「パートナーが、職場の人間関係がうまくいかなくて悩んでいるって言うから相談に乗って、励ましていたんです。そうしたら、パートナーはだんだん黙りこくっていって……。相談を受けて励ましているのに、訳がわからないです……」(Tさん)
相談を受けて励ましていたはずが、どうしてモラハラになってしまうのか、その背景に迫りたいと思います。
僕がTさんにその時の状況をもう少し詳しく聞いてみると、次のように答えてくれました。
「仕事が終わり疲れて帰ってきて食事をしていたら、パートナーも疲れた感じで『職場の人間関係がうまくいかなくてさ……』と話し始めたんです。少しでもパートナーの問題解決につながったり、励ませたらいいなと思って、『考え方を変えてみたら?』とか『俺の職場では、もっとひどいよ』などと話していたんです」
そこで僕は、次のように尋ねました。
「なるほど。Tさんとしては、パートナーが悩んでいるようだから力になってあげたかったんですね。ただ、Tさんのパートナーは、本当に自分の悩みの解決方法を知りたくてTさんに話しかけていたのでしょうか? ちょっとした雑談とか、少し愚痴を言ってすっきりしたかっただけという可能性はないですか?」
すると、Tさんは少し驚いた表情で答えてくれました。
「え……。『職場の人間関係がうまくいかない』って話し出したんだから、その悩みを解決してほしいってことじゃないんですか? 確かにパートナーから直接『解決方法を教えて』とか『アドバイスが欲しい』とか、はっきり頼まれたわけじゃないですけど」
相手の感じ方や考え方を否定するのはアドバイスではない
そこで、僕は次のように提案してみました。
「では、Tさんのパートナーは、本当はTさんに何をして欲しかったのか? 一度質問し確認してみてはいかがですか?」
人間の悩みには、大きく2つのパターンがあります。
1つは
「どうすればいいかわからない」というものです。もう1つは
「わかっているけれどできない」というものです。一般的に後者の方が悩みは深いことが多いです。
一方、相談をされた側は、「相手の力にならなければ」と思うあまり、何とか相手の問題解決をして
「あげよう」としがちです。
そんなとき、時には相手自身も既にわかっている(けれども実行がなかなか難しい)正論や自分の経験などを延々と相手に説教する形になってしまうことがあります。
ひどい場合には、
「そんなの全然大したことないよ」とか、
「あなたにも問題があるんじゃない?」などと、「そもそも問題ではない」「その問題が起こっているのは、あなたのせいだ」と言わんばかりに、
相手の感じ方や捉え方を軽んじたり、否定したりするなど、「問題そのものをなかったことにしてしまおう」とし始めます。
また、こんな場合もあります。自分が色々アドバイスをすると「それにはこういう事情があって」「前にこういうこともあったから、そうもいかない」などと言われてイライラして
「後出し情報ばかりじゃ困る! 相談としてレベルが低い!」なんて最悪の結末に。
後出し情報ばかりになるのはなぜか。それは、アドバイスする側が
「状況や背景を丁寧に聞かずに、拙速に、安易に、アドバイスをしているから」に他なりません。
今回のケースも、パートナーが少し悩みを話し始めたら、Tさんは相手の状況や頑張りを聞いたり、理解や共感をしようとすることなく、「お前が間違っている!」と言わんばかりに、Tさんの感じ方や考え方を一方的に相手に押し付けています。
そもそもアドバイスというのは「いまの相手を変えようとすること」という自覚がないからこそ、自分の気持ちや頑張りなどを受け止めてもらえなかったTさんはパートナーの傷つきや悲しみを想像することすら出来ないのです。
DV・モラハラなど、人を傷つけておきながら自分は悪くないと考える「悪意のない加害者」の変容を目指すコミュニティ「
GADHA」代表。自身もDV・モラハラ加害を行い、妻と離婚の危機を迎えた経験を持つ。加害者としての自覚を持ってカウンセリングを受け、自身もさまざまな関連知識を学習し、妻との気遣いあえる関係を再構築した。現在はそこで得られた知識を加害者変容理論としてまとめ、多くの加害者に届け、被害者が減ることを目指し活動中。大切な人を大切にする方法は学べる、人は変われると信じています。賛同下さる方は、ぜひGADHAの当事者会やプログラムにご参加ください。ツイッター:
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