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芥川賞作家・上田岳弘が最新作『最愛の』で描く大人の恋愛と成熟の姿

働き盛りの世代が読みたいと思えるリアリティ

 謎をはらんだサスペンスフルな物語が学生時代の回想と共にすこしずつ姿を現す一方、38歳になった久島の生活が丁寧に描写されていく点にも本作の大きな特徴がある。  例えば、緊急事態宣言に伴う会社の方針の転換でシェアオフィスを追い出された久島が、郊外のショッピングモールのフードコートからWEB会議に参加していたり。久島が時々逢瀬を楽しむ相手で既婚者でもある渚は、集団感染対策のせいで子どもを保育園に預けられないままリモートワークに臨まざるを得ない状況に疲弊していたり。それらの描写から浮かび上がるのは、確かにそこにあったコロナ禍の日常であり、現代を生きる社会人のリアルだ。 「仕事の現場って基本的にみんな真面目なので、ある意味最もリアリティが凝縮されているんですよ。だから作家としては興味深くてついつい書きたくなってしまう。それに、普通に働いて社会生活を営んでいる人たちに向けた小説が少ないことも純文学にとっつきにくさを覚える要因になっているのかなと思っていて。働き盛りの世代が読みたいと思えるリアリティを携えた作品にしたいという気持ちがありました」  久島の現在地の描写に意識的に言葉を尽くしている理由はもうひとつある。現代日本において最も名の知れた恋愛小説――1987年に刊行され社会現象にもなった村上春樹の『ノルウェイの森』だ。こちらも三十代後半の〈僕〉が学生時代を回想する形で始まる物語だが、実は作中で現在パートが登場するのは冒頭のみ。年齢を重ねた〈僕〉の詳細が語られることはない。 「『ノルウェイの森』は〈僕〉が〈どこでもない場所〉から忘れえぬ彼女に向かって呼びかける物語でもあるけれど、どこでもない場所、誰でもない自分というのがもはや許されなくなったのがインターネット以降の社会を生きる僕たちのリアルだと思うんです。だからこそ、回想の中にある学生時代の物語と30代後半の現在の自分の描写が拮抗して存在している状態で書いてみたかった」  作中で、現在の久島が、当時の友人たちや望未との関わり方を振り返り、「僕は~すべきだった」と繰り返す場面がある。例えば〈大学時代に向井がオーバードーズをしていることを僕はもっとちゃんと咎めるべきだった〉〈彼の中二病めいたロマンチシズムをきちんと否定すべきだった〉〈僕は望未を好きになるべきではなかった〉――曲者揃いの友人たちや望未の存在を鷹揚に受け入れているように見せかけて、その実、責任を負うことから逃げ、彼らの歪さを愛でていたかつての自分のふるまいを、身も蓋もなく言語化しながら容赦なく自己批判していく様子は、あくまで〈わからない〉と繰り返す『ノルウェイの森』の〈僕〉とは対照的に映る。
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“忘れ得ぬ恋人”を自己都合で捻出して陶酔している男の罪
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