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芥川賞作家・上田岳弘が最新作『最愛の』で描く大人の恋愛と成熟の姿

人々を「タワマン」に向かわせるものとは

 作中では望未をめぐる謎をはじめ、さまざまな場面で虚像や幻想が崩れるような感覚を味わう。ラプンツェルが住むタワーマンションや久島の会社が契約していた高層ビル内のコワーキングスペースという舞台も、本作を通じて更新されたモチーフのひとつだろう。「タワマン文学」といえばSNS上で何度もネタにされてきたように、格差を上から目線で露悪的に強調するようなイメージが強いが、本作にそうした類のまなざしは感じられない。 「そういう描き方は昔から存在していた『格差』の現代版にすぎないし、今僕が書くべきものだとは思わない。もうすこし別の角度からの照らし合わせがないと、実際に人びとをタワマンに向かわせるものの全体像が不完全になってしまうと思うんですよ。例えば、久島のようにシェアオフィスを転々としながら働いていると、場所へのこだわりや所有の感覚が希薄になってくるだろうし、地面から離れれば離れるほど細部が見えなくなってくるということは、そこから見える風景が似かよってくるということでもある。ヒエラルキーの頂点というより、むしろ自分がワンオブゼムだと感じやすい場所でもあるような気がします」  上田は1979年生まれ。作中の久島と同様、自身も「失われた30年」をまのあたりにして生きてきた世代にあたる。1990年代後半の金融不安、ITバブル崩壊を経て、企業は新卒採用を極端に絞ったため、非正規雇用が激増した。社会から取りこぼされ、成熟する機会を逸したまま中年となったロスジェネ世代の男性を、最近では「弱者男性」という総称で語るメディアもある。こうした同世代の現状についてはどう見ているのか。 「就職するのが大変だったのは事実。今から考えると世間を渡り歩くのが難しい世代ではありました。けれど、『男なんだからこうあるべきだ』『いい大人なんだからこうあるべきだ』と、あるべき姿を巨大に見過ぎているきらいも同時にあるように思います。自分たちがかつての大人たちより弱くなっているぶん、社会全体がゆるくマイルドになっている部分もある。男が家計を支えて当然という考え方も希薄になっていますし、給料が下がっているぶん副業がしやすくなっていたりもします。『こうあるべき』と自分にあてがうものさしを変えればもう少しラクになれるんじゃないかと思います」    幻想や虚像に囚われず、諦念に甘えず、現代のリアルを手繰り寄せることで未来への希望を担保する。デビュー十周年を迎えた作家の、確かな成熟の姿だ。 231018_D6C1416●上田岳弘(うえだたかひろ) 1979年兵庫県生まれ。2013年「太陽」で第45回新潮新人賞を受賞しデビュー。15年「私の恋人」で第28回三島由紀夫賞、18年『塔と重力』で第68回芸術選奨文部科学大臣新人賞、19年「ニムロッド」で第160回芥川龍之介賞、22年「旅のない」で第46回川端康成文学賞を受賞。他の著作に『異郷の友人』『キュー』『引力の欠落』など。 取材・文/倉本さおり 撮影/中川菜美
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