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芥川賞作家・上田岳弘が最新作『最愛の』で描く大人の恋愛と成熟の姿

 若者にとって恋愛はもはや「コスパ・タイパが悪い」とすら言われる今、IT企業の役員を務めながら作家活動を続ける、芥川賞作家・上田岳弘が最新長篇『最愛の』で挑んだのは、かの『ノルウェイの森』を現代の視点から更新するような「大人のための恋愛小説」だ。
最愛の書影

『最愛の』(集英社刊)

 ロスジェネ世代として、日本の「空白の30年」を見つめ続けてきた作家が考える、大人になること=成熟の姿とは? 折しも第3回「本屋が選ぶ大人の恋愛小説大賞」にノミネートされた本作を軸に、小説から浮かび上がる社会の現在地に迫った。

手紙というアナログなツールを用いた理由

 本作の語り手である〈僕〉こと久島(くどう)は外資系の通信機器メーカーに勤務する男性。急な打ち合わせの打診にもオンオフを瞬時に切り替えながらそつなく対応し、日頃から現実にうまく適合できていると自認しているが、そんな自身のありように消耗し、言い知れぬ孤独を感じてもいる。ある日、ひょんなことから意気投合した知人に促され、自分の中で特別な位置を占め続けるひとりの女性の記憶と、彼女からもらった手紙の内容を掘り起こしていくところから物語がはじまる。  作中では〈血も涙もない的確な現代人〉というフレーズが繰り返されるのが印象的だ。 「本来、人間は情を挟むと的確ではいられないはず。でも作中で久島が〈この20年近くの間、ある種の感情の閉じ方を学んだことは確かだ〉と言っているように、現代人は社会に接するモードと私的なモードを当たり前のように切り替えながら効率よく合理的に状況に適合してしまう。その過程で自分が手放したり振り落としたりしてきたものを読む人それぞれに考えてもらいたいなと思って、少しドキッとするようなキーワードをちりばめたつもりです」  久島にとって“忘れえぬ恋人”である望未(のぞみ)は中学校の時の同級生だ。事故に遭って遠方に引っ越し、休学を経て二学年下の高校生となった望未と久島は大学生の頃まで文通を続けるが、彼女は自分のことを忘れるよう繰り返し告げ、突然連絡が途絶えてしまう。彼女にいったい何があったのか――。  本作では「手紙」というアナログなコミュニケーションツールが重要な鍵を握っている。  起業から加わったIT企業の役員としても知られる上田は、純文学を主戦場としながら仮想通貨やTikTokなどの今日的なテクノロジーの産物を意識的に小説に組み込み、現実社会と切り結んできた。SNSをきっかけとした恋愛が全盛とも言われる今、あえて手紙というツールを用いたのは何故なのか?
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「人間関係と連絡手段は密接に関わっている」(上田)

「僕は恋愛を含める人間関係と連絡手段は密接に関わっていると思っていて。例えば手紙や固定電話しかなかった三十年前と、送信相手がメッセージを開けばスマホの画面ですぐに既読マークがつく今の時代では、受け取る情報に違いが出てくる。人間関係の質がまったく異なってくるんですよね。手紙なら“連絡が返ってこない”というのは事故や不測の事態含めていろんなケースを想定することができるけれど、LINEの“既読スルー”は勘違いの余地がない。あらかじめ“わからない”部分が生まれにくい状況になっている点はずっと気になっていました。加えて手紙って、メールやSNSと違い、送ってしまった文面は手元に残らないから、自分が書いた内容を読み返す機会がないんですよ。その不思議さというかアンバランスさも面白いなと」
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働き盛りの世代が読みたいと思えるリアリティ
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