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芥川賞作家・上田岳弘が最新作『最愛の』で描く大人の恋愛と成熟の姿

“忘れ得ぬ恋人”を自己都合で捻出して陶酔している男の罪

「“ちゃんと反省しろよ”っていう。もう若者とはいえない、三十代後半の主人公の姿をきちんと書くという目標に加え、あのくだりは同じ男性である僕自身に対するツッコミとして書いています(笑)。村上春樹さんの作品に否定的な読者はきっと、作中における女性の描かれ方云々よりも責任の所在の曖昧さにひっかかるのではないかなと。幻想でしかないかもしれない“忘れ得ぬ恋人”を自己都合で無責任に捻出して陶酔している男の罪って、文学の世界ではあまりきちんと書かれてこなかったように思うんです。後進の作家として、そうした問題を引き継いで更新したいという欲望はありますね」
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「中年になるとは、ある種の責任を引き受け、他者を外の世界に認めること」(上田)

 思い出の中にしかいない恋人の姿は、多かれ少なかれ自分の都合や願望を貼り付けたものだ。実際に他者として生きているその人とは違う。そこにある不健全な歪みを現在パートで批評的に体現するキャラクターとして「ラプンツェル」という源氏名で呼ばれる大学院生の女性が登場する。  彼女はかつて客だった老人に与えられたお台場のタワーマンションの高層階に住んでいるものの、コロナで老人が亡くなったと聞いて途方に暮れている。老人がかつて愛した“忘れ得ぬ恋人”の身代わりを演じきる代わりに手に入れたその一室は、彼女を「おとぎ話」に閉じ込める牢でもあった。恋愛において「忘れない」ということは時に呪いでもあるのだ。 「過去の大切なものと対峙する時間は必要だけれど、目の前に現実にいる他者を大切にしないと、外の世界をただ自分のエモさのためだけに消費することになるし、本当の意味で人生を生きたことにはならないんですよね」  本作が「大人の恋愛小説」として多くの読者を獲得しているのは、1990年代の当時の文化が活写されている点に加え、ノスタルジーに甘んじず主体的に思考し続けるというプロセスが書きつけられているからだろう。 「40歳を超えても自分自身のトラウマとか恋愛感情とかに向き合っているだけっていうのは様にならないというか。久島を38歳に設定したのは、ギリギリ自分の問題にかまけてもいい年齢でもあり、そろそろ脱皮しないといけない頃合いだから。中年になるということは、まさにある種の責任を引き受け、他者を外の世界に認めることで同時に解放するということだと思います」
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人々を「タワマン」に向かわせるものとは
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