香港民主化の女神、周庭さん「逮捕・収監で何をされたのか」恐怖の日々を明かす
※12/26発売の週刊SPA!のインタビュー連載『エッジな人々』から一部抜粋したものです
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周庭 Agnes Chow
1996年、香港生まれ。’14年の雨傘運動、’19年の民主化デモでスポークスパーソンとして活躍。’18年には立法議員補欠選挙に出馬するも、その主張が香港基本法に違反するとして排除された。’20年に逮捕・収監されたが、’23年9月にトロント留学を果たし、再び言論の自由を手に
取材・文/倉田明子 池垣 完(本誌) 撮影/初沢亜利
一国二制度のもと、司法の独立や言論の自由などが認められていた香港。その自由を守るために闘い、「民主化の女神」と呼ばれた周庭(アグネス・チョウ)のトロント留学と“事実上の亡命”が大きな話題を呼んでいる。
’14年の雨傘運動、’19年の民主化デモで香港の問題を世界に訴え続けた彼女は、’19年8月にデモを扇動した容疑で逮捕され、’20年12月に収監。その裁判のさなかの’20年8月には、民主化運動を潰すために中国政府が施行させた「国家安全維持法」(国安法)違反容疑でも逮捕された。
以降3年間、口をつぐんできた彼女はなぜ再び表舞台に出てきたのか? 周庭の肉声を届ける。
――なぜ突然「香港に戻らない」と宣言したのか?
周庭:まずは香港の現状を知ってもらいたいと思ったから。中国政府の意向を受けて’20年に施行された国安法により、香港では自由に発言することもできなくなった。民主化を求めるだけで、国や政権を転覆させる行為と見なされ、逮捕される。この国安法でたくさんの香港人が今も苦しめられているのに、3年がたって香港は世界のスポットライトを浴びなくなってしまった。だから、もう一度、香港に目を向けてほしいと。
――逮捕・収監されてからの3年間はどう過ごしていたのか?
周庭:刑務所では朝から晩まで囚人服を作る作業をさせられ、人と話すことはほとんどできず、不安障害とPTSDを発症してしまいました。服役中から薬を飲むようになり、出所後にはパニック障害も出て、うつ病にもなった。刑務所から出て一瞬ホッとしたんですけど、またいつ警察が自宅に踏み込んでくるかわからないと想像すると怖くて……。いつまでたっても“周庭としての日常”を取り戻せなかった。
――トロントに着いてからは、不安は完全に解消された?
周庭:そうとも言えません。12月28日には香港に戻って警察に出頭しなければならなかったので、10月には香港行きの航空券を予約していました。でも、香港に帰ったらトロントに戻れなくなるのでは?と感じて怖くなった。こっちに来てからも2回、国安警察から連絡がありましたし。
――どんな内容の連絡?
周庭:1回目はトロントについてすぐに「無事、到着できたか?」という確認の連絡。2回目は「“黄色い人”からは連絡があったか?」という電話でした。黄色い人は民主活動家を指す隠語です。民主化という言葉を使いたくないから、国安警察も「黄色い人」と表現する。
――民主活動家の動きを探らせようとしていたということ?
周庭:国安警察が私のトロント留学を認めた理由は2つあると思っています。海外での情報収集とプロパガンダです。プロパガンダは、私が「香港に帰らない」と宣言した翌日のテレビ番組に象徴されています。’19年のデモに参加して逮捕・収監されていた人が香港のテレビに出演して、「私は扇動されて社会運動に参加したことを後悔しています」と話したんです。香港に戻ったら、私も「かつての社会運動家は自由を取り戻し、中国人民の一人としてトロント留学を果たした」とプロパガンダに利用されたでしょう。
――だから帰らないと決めた。
周庭:帰ったら、今度は「中国に行って共産党幹部に会え」などと要求をエスカレートさせる可能性がある。そんな更生プログラムは法律に一切書かれていないのに。このままだと私は愛国者としての階段を上り続けたと思う。’23年7月には習近平政権に認められた人しか区議会選挙に立候補できないと変更され、香港警察は海外亡命した民主活動家に1800万円もの懸賞金をかけて指名手配しました。「中国は法治国家だ」と言いながら、法と制度を政治的道具として使い続けている。
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