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“オウム真理教の本拠地”にあったテーマパークが「4年で閉園」した理由――大反響トップ10

次々とテーマパークが建立されていったバブル時代

このテーマパークの近くに富士ガリバー王国は生まれたのである。富士ガリバー王国が生まれた1997年は、地下鉄サリン事件から2年が経過していたものの、やはり上九一色村の名前はオウム真理教の名前と共に人々の記憶に深く刻まれ、そのテーマパークに暗い影を落としたことは否めない事実だろう。 といっても、なぜ、こんな場所にテーマパークを建てなければならなかったのか。もっと良い立地があったはずだ。 テーマパークは、一般的に広大な土地が必要だ。本来、そんな土地はなかなかなくて、場所もなければそれを買うお金もない。しかし、日本は特別だった。バブル景気を体験したからだ。バブルの波に乗った銀行や企業は、投資と銘打って、全国の広大な土地を買い漁り、そこに次々とテーマパークを建設していった。

なぜ上九一色村にテーマパークが?

富士ガリバー王国を建てたのは、新潟中央銀行だった。バブル期の好景気に後押しされ、この地方銀行は通常時では無茶とも言える投資計画を半ば強引に推し進め、富士ガリバー王国だけではなく、新潟ロシア村、柏崎トルコ村といったテーマパークの建設も行なった。 しかし、金はあれど、そのようなテーマパークに向いている土地がゴロゴロと転がっているわけではない。その時買うことができた土地は、立地が悪かったり、何らかの因縁がその土地にあったり、とにかくどこか暗い影を持っていたりする。 富士ガリバー王国が典型だ。先にも書いたように、オープンする2年前にはその近くで日本を震撼させるテロ事件を起こした犯人たちのアジトがあった。どこかしら暗い影を持ったその土地は、富士ガリバー王国が建てられる前にはただの原野だった。 元を辿れば、戦後、満州から引き上げてきた満蒙開拓団の一派に与えられた開墾地だとされている。しかし、開墾は混迷を極めた。土地質が良くなく、野菜が丈夫に育つような土地ではなかったのだ。その証拠は、開拓民たちがその土地を手放し、そこが原野になっていたことに表れているだろう。
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今現在「跡地の使い道は明らかにされていない」
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ライター・作家。チェーンストアやテーマパークをテーマにした原稿を数多く執筆。一見平板に見える現代の都市空間について、独自の切り口で語る。「東洋経済オンライン」などで執筆中、文芸誌などにも多く寄稿をおこなう。著書に『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社)『ブックオフから考える』(青弓社)
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