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「野球選手として、一茂はもったいなかった」長嶋一茂という“前代未聞”…指導係だったヤクルト小川GMが振り返る現役時代

時代を先取りしていた男

 そういえば、彼は海外へキャンプに行くのに現金をほとんど持っていなかった。アメリカから日本への国際電話の料金は1週間に1回、自分たちで清算するルールがあり、「一茂、俺、ちょっとフロントで清算してくるぞ。おまえの分は払えないから、俺は自分のをやるわ」って言ったら、「いや、いいですよ。小川さん、僕、全部払いますから」って。「おまえ、現金持ってねえじゃねえかよ」って言うと、彼はカードで支払っていた。  当時、カードで支払う習慣のある選手なんかいない。海外慣れした一茂はカードを使いこなしていた。キャッシュレスを最先端でいっていた。

天然という厄介

 今、彼はテレビタレントとして、大活躍している。元プロ野球選手としてはレアなケースだが、私はそのことにまったく違和感を抱いていない。自由奔放すぎる男ではあったが、彼には頭の良さがあって、自分の言いたいことを言っているだけに見えて、テレビタレントとして彼なりの努力というのは間違いなくあるとは思う。  選手時代、チームメートとして、頭にきたりあきれたことは多々あったけれど、正直キラリと光るものが一茂にはあった。それが何かといわれると難しいのだが、確実にそれは感じていた。生意気なんだけれど、彼にはなぜか嫌味を感じないんだ。だから困っちゃう。   人としての嫌らしさがそこに入ってくると、なんだこの野郎と本気で頭にくるのだが、彼の振る舞いには悪意や作為的なものがまるでない。あいつは、頭がいいくせに、天然なんだ。  数々の無礼も、彼が育ってきた環境の中では普通なことだった。朝起きなくても、後輩としての役割を果たさなくても、生意気なことを言っても、夜帰って来なくても。くやしいが、なんか憎めない。まったく得な性格だよ。野球界にはいろんなタイプの人間がいるが、一茂はちょっと珍しい存在だった。
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「何が爺やだ、コノヤロー」
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1957年、千葉県習志野市生まれ。東京ヤクルトスワローズゼネラルマネージャー。1975年、千葉・習志野高校3年時、夏の甲子園にエースとして出場し、優勝。1982年、ドラフト4位でヤクルトへ入団。以後、1991年までプレーしたのち、1992年に日本ハムに移籍し、同年で現役を引退。その後、ヤクルトのスカウト、2軍コーチ、2軍監督、1軍ヘッドコーチ、1軍監督、シニアディレクターを歴任。2018年から2019年まで2度目の1軍監督を経験したあと、2020年から現職。
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