セーフコフィールドのヘッド・グラウンドキーパー、ボブ・クリストファーJr.さん(58歳)。記者を屋根の開閉部分に案内して自分とグラウンドの歴史を語ってくれた
「2000年の冬、イチローが最初にボールパークに現れた時は『なんて線の細い選手なんだ!』って驚いたね。この選手が本当に日本の安打記録を樹立したのかって。でも次の瞬間、僕はびっくりしたよ。イチローの力強い太ももと引き締まったお尻は、まるでケン・グリフィーJr.のようだった。
その時、私は確信したね。まだ彼がセーフコ・フィールドで一度もバットを振る前だけど、彼はきっと、マリナーズの球史に名を残す偉大な選手になるぞって」
シアトル・マリナーズの本拠地、セーフコフィールドでヘッド・グラウンドキーパーを務めるボブ・クリストファーソンJr.さん(58歳)は、誰より早く、イチローの活躍を断言した人として知られている。その眼力は、20年の「マイナー生活」に裏打ちされた確かなものだ。
◆父と一緒に過ごしたくてグラウンドキーパーの道へ
ボブJr.さん専用のヘッド・グランドキーパールームにて。ここで天候や芝のデータの収集に当たる。「天気がイイ日の試合中はヒマなんだ、だからお菓子を食べすぎちゃってこの体型さ」
シアトルから車で1時間、タコマ出身のボブJr.さんは、大学卒業後、社会学の教師として高校の教壇で5年間を過ごした。当時、父のボブ・シニアさんはメールマン(郵便配達員)として生計を立てる傍ら、地元タコマのマイナーリーグ球場のグラウンドクルーとして、日々の暮らしをエンジョイしていたという。
「多忙だった父と一緒の時間を過ごしたかったから、父の仕事を手伝いはじめたんだ。それでトリプルA(日本でいう2軍)のタコマ・レニアーズの球場で、父のグラウンドクルーの仕事を手伝いはじめたんだ」
当時のことをボブJr.さんは、懐かしそうに振り返る。
クリストファーソン一家に小さな変化が訪れたのは、35年前のこと。隣町のシアトルに、メジャーリーグの球団が誕生することになったのだ。
「当時3Aには、シアトルとタコマの2チームがあってね、よく試合をしたものだったよ。そしたらシアトルにメジャー球団ができることになった。新球団が故郷の近くにできることは、とても喜ばしいことだったけど、当時のアメリカはドーム球場、人工芝が全盛の時代。もちろん新しいシアトルのホーム球場(キングドーム=1976年に開場、2000年に爆破解体)も、人工芝の球場だった。天然芝のボールパークだったら、僕らはもっとワクワクしたかもしれないけど、人工芝の球場は、芝の手入れが不要だからね……」
故郷タコマから30マイル、車で1時間北上した港町にシアトル・マリナーズが誕生したあとも、しばらくの間、ボブさんは、マリナーズを応援しながら、マリナーズの傘下になった3Aタコマのグランドキーパーを続けていたという。
転機は突然、訪れた――。
キングドームの老朽化に伴い、シアトルに新球場が建設することとなったのだ。しかも屋根付き、天然芝のボールパークという。父子2代で芝生のメンテナンスを手がけてきたクリストファーソン親子にとって、これは大きな転機となった。
「すぐに新球場で仕事があるなってピンと来てね。面接を受けたのさ。幸い最終候補者の2人まで残ることができて、完成直前のセーフコフィールドでインタビューを受けたよ」
しかしシアトル球団は、ボブJr.さんではないもう一人の職人を「ヘッドグラウンドキーパー」に選んだ。採用されたのは、別の男。ボブJr.さんは、何事もなかったかのように、マイナーリーグの球場のグラウンドキーパーの仕事に戻ったのだった。
セーフコフィールド竣工前の測量(1998年。奥はキングドーム)写真/ボブさん提供
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20年目で念願の「メジャー昇格」
1999年7月にオープンしたセーフコフィールドは、開閉屋根付きの全天候型ボールパークとしてその名を全米中に知らしめた。開場から間もなく1年が経とうとしていた2000年春、ボブJr.さんは、球団から1本の電話を受けた。
「実は、最初のグラウンドクルーを解雇しようと思うのだけど、よかったらマリナーズに来てくれないだろうか?」
こうして2000年7月、マイナーリーグの球場で20年間、グラウンドキーパーを勤めていたボブJr.さんは、20年目にして初の「メジャー昇格」を果たした。
それはイチローがセーフコフィールドに現れる1年前のことある。
以来、13年、彼はイチローと同じく、一度もマイナーに降格することなく、セーフコフィールドの芝生を保っている。
「セーフコフィールドの難しいところは、北緯47度という緯度(日本の最北端・宗谷岬は北緯45度)。トロントやデトロイトよりも北にある、メジャー最北の球場なんだよ。だから日照時間や、雨が多いシアトル特有の気候との戦いなんだよ」
ここで彼はとっておきの話を披露してくれた。
イチローが262本のシーズン最多安打を放った2004年、イチローは本拠地セーフコフィールドのグランドクルー18人全員に、サインボールを贈ったのだという。
「イチローの心遣いが本当に嬉しかったね。だから僕は、イチローが僕に渡してくれた18個のサインボールをトロフィーにして、クリスマスプレゼントとしてグランドクルー全員に贈ったんだ」
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開閉中の屋根。「天気を睨みつつ、お客さんのためにも、極力屋根を開けたいんだよね」とボブさん。約12分間かけて屋根が開く瞬間、映画「2001年宇宙の旅のテーマ」が場内に轟き、観客は喝采を送る
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セーフコフィールドには「一日グラウンドキーパー体験」というアトラクションも。ボブJr.さんの指導のもと試合中にトンボをかけることも可能だ
◆最も光の当たらない場所に現れた、最も光の当たる選手、イチロー
実は日照の関係で芝の保全が最も難しい場所が、イチローの守るライトなのだという。現在でも試合後、彼が発明した特注の投光器でライトの芝に光を当て続ける。
球場で最も光の当たらない場所にやってきた、チームで最も光の当たる存在の選手。その選手はチームでは「1年先輩」のボブさんの日々の仕事を理解し、敬意を払い続けている。
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日照の関係で芝の生育にムラができる。それを補うための投光器。ボブさん特注の「発明品」だ 写真/ボブさん提供
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セーフコフィールドのグラウンドキーパーの面々。ボブさん(前列中央)、娘のタイラーさん(後列右から3人目)、息子のローリーさん(後列右から4人目)、親子3代でグラウンドの保全にあたる。撮影/渡辺秀之
<取材・文・撮影/
NANO編集部&日刊SPA!シアトル臨時支局>
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