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公的支援が始まるも、追い詰められる三陸の漁師たち

去る5月22・23日、エコノミストの飯田泰之氏×評論家・荻上チキ氏の2人は、本誌『週刊SPA!』連載「週刊チキーーダ!」の取材で、陸前高田市と大船渡市を訪れた。2人揃っての被災地入りは、昨年10月以来。あの日から1年3か月が過ぎ、訪れた先々で聞かれたのは、「これからが勝負」という決意。それと同時に、新たなビジネスの胎動を知ることにもなった。本誌では紹介しきれなかった取材の模様を、“番外編”として日刊SPA!で紹介していく。

【1】船の支援を受け、追い詰められる漁師たち!?

三陸とれたて市場

静岡県出身。「三陸とれたて市場」代表取締役。大学進学に伴い、大船渡市に移住。大学では研究者を目指すが、魚屋のホームページを作る手伝いをしたことを機に、ネット販売事業を手がけることに

 三陸鮮魚の直売サイトとして、震災の前から知る人ぞ知る存在だった「三陸とれたて市場」(http://www.sanrikutoretate.com/)。例えば、活きた毛ガニを茹でるための海水とセットで売ったり、漁港のライブ中継を行ったり。“新鮮さ”は大前提として、プラスαも一緒に届ける直販サイトとして話題を呼んでいた。

 震災後、津波で会社に残ったのは床板2枚という状況ながら、1か月後の4月11日には操業&営業を再開。その日の漁は、津波で海がかき混ぜられたためか魚が活発に動き、大漁。久しぶりに食べた地の魚の美味さに、代表を務める八木健一郎さんは復活を強く決意したという。

 が、問題は“その後”やってきた。「やはり帰るところは海だ!」と思った漁業者たちが、漁港再開のニュースが伝えられ始めた昨年秋以降、諦め始めたからだ。なぜか?

「漁業者対象の公的支援が始まりました。しかし、ご存知の方は少ないかもしれませんが、お金はいったん漁協に入るんです。

 その使途は基本的に漁協の裁量ですし、漁協から船の新規購入への補助があったとしても、漁は船だけでするものではありません。漁具も必要。そして、船が接岸された瞬間から保険料の支払いが発生する。しかも、津波被害の後なので、その保険料は180%です。漁具がなければ、船を手にした瞬間から、借金をさらに抱え始めるんです。

 特に私が震災前からお付き合いをしていた漁師さんは、量を捕る定置網ではなく、こちらが求める品質のモノをつくり、捕ってくるという漁師さんです。漁船漁業の方が多く、彼らは自分の好きな漁港に揚げるという形なので、漁協との関係も薄い。そんなやる気のある漁師さんが、船が来ても海に出られないとうい状況で、昨年秋以降、どんどん諦めてしまっていったんです」

 そんな漁師たちを何とか立ち上がらせたい。同時に、この土地の漁業のあり方に違和感を覚え続けていた八木さんは奔走する。まず、漁師に“外”の世界を見せることにした。

「僕は静岡県出身ということもあり、静岡県庁の水産局長と懇意にさせていただいていました。そこで、局長さんに静岡県由比漁港の組合長さんを紹介いただき、漁師さんたちを連れて研修に行ったんです。でも最初は、この研修は失敗だって思ったんです。というのも、三陸の漁師たちが、由比漁港に憧れちゃったんです。

 由比漁港はご存知のとおり桜海老が有名です。その漁期がいつかというと、天候などにもよりますが、春が2か月、秋が2か月。その間にシラス漁を少しやって、その残り期間は釣り船屋。自らも直売事業を行い、漁協の売り上げは40億円にも上ります。

 一方、自分たちは漁獲の種類も量も多いのに、売り上げは数億円程度。漁師さんの中には僕のところに『お前、静岡帰って、サクラエビの網本のお嬢さんと結婚しろ!』って真顔で言う人もいたんですよ。『そしたら、オレたち、岩手から船持ってきて、ここで船方やるからっ』って」

※続きはこちら⇒http://nikkan-spa.jp/228665
【2】“外”の世界を見て知った、“陸”の仕事の大切さ

<チキーーダ!からのコメント>

●荻上チキ
今回の取材では、多くの方々が口にしていた言葉がある。「震災から1年以上が経ったけれど、これからが正念場」。漁業は、船や港だけではなく、加工や市場など、様々な環境があって成り立つもの。インフラを復旧するだけでも大変だが、勝川俊雄氏の『日本の魚は大丈夫か――漁業は三陸から生まれ変わる』 (NHK出版新書)などでも指摘されているように、もともと難しい状況にあった漁業を盛り上げるために、乗り越えなくてはならない壁は大きい。八木さんの言葉には、その重みを痛感させられると思う。

●飯田泰之
飯田泰之氏

飯田泰之氏

本インタビューの収録場所は復興の番屋(大船渡市越喜来)。実はここはチキーーダ!で被災地取材の際、コーディネーターを務めてくれている土方剛史氏にとって非常に思い出深い場所だ。昨年のG.W.に土方君と僕はCFW(Cash for Work)で一度話しただけのNPOの方を頼りに被災地に入った。その人から別の人を、そこからまた別の人を紹介して貰ってたどり着いたのが、同日にたまたま復興食堂が開催されていた「復興の番屋」。僕が岩手県の復興支援に取り組んでいこうと思った原点でもある。

構成/鈴木靖子 撮影/土方剛史
― [被災地ルポ]三陸の漁師たちの新たな挑戦【1】 ―




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