更新日:2018年07月30日 15:45
スポーツ

「試合に勝った方が強い」伝説のキックボクサー藤原敏男の勝負論<最強レスラー数珠つなぎvol.14>

「最強レスラー数珠つなぎ」――毎回のインタビューの最後に、自分以外で最強だと思うレスラーを指名してもらい、次はそのレスラーにインタビューをする。プロレスとはなにか。強さとはなにか。この連載を通して探っていきたい。 「機動隊が50人、襲いかかってきたらしいです。それをすべてかわしたら、今度は柔道の猛者たちがやってきた。捕まった藤原先生の身元引受人になったのが、黒崎先生だったとか」  藤原敏男の強さを教えてほしいと言うと、弟子の小林聡はそう言って笑った。本人は「若いときは喧嘩もした」と控えめに言うが、おそらく相当、やんちゃをしたのだろう。武勇伝は数知れない。  伝説のキックボクサー。外国人で初めてムエタイの頂点・ラジャダムナン王者になった。タイに行くといまでもレッドカーペットが敷かれ、藤原を見つけるとヒクソン・グレイシーが走ってくるという。ヨーロッパのキックボクシングの拠点になったオランダ目白ジムには、道場の壁一面に藤原の写真が飾られている。 「先生に教わったことは、パンチでもキックでも技術でもなく、人間そのものを強くするということです」  試合に負けると、容赦なく罵倒してくる。それから1か月間は、ジムに行っても目を合わせてくれない。プライドをズタズタにされた。見返してやる――そうして小林はWKAムエタイ世界ライト級王者になった。  佐山サトルは、藤原敏男は立派な人だと言った。しかし、酒を飲むとめちゃくちゃ。そう聞いて、居酒屋でインタビューを行うことにした。濃いめのハイボールを3杯同時に頼み、8時間ぶっ通しで飲んでケロっとしている。小林から藤原の武勇伝を聞きながら、酒が強い男はカッコいいなと私は思った。 【vol.14 藤原敏男】 ――佐山先生との出会いはいつですか。 藤原敏男(以下、藤原):佐山先生が新日本プロレスに入って、1か月か2か月くらい経った頃かな。自分が思っている格闘技とはニュアンスの違いがあったから、もっともっと厳しい道場はないか探して目白ジムを見つけたんだよ。日本で一番、過激な教え方で有名なところだから。黒崎健時っていう先生がスパルタでね。そこに来たのが出会い。  最初の頃は、プロレスラーって名乗らなかったんだよ。しばらく経ってから、「実はいま、猪木さんのところでプロレスラーをやってる」って言って。17、18歳かな。後から分かったことだけど、彼は高校の頃、アマレスやってたじゃない? 打撃がまだ身についていなかったから、補おうとしたんだろうね。パンチも教えたけど、どちらかと言うと、ローキック、ミドルキック、ハイキックを教えたよ。 ――最初から筋はよかった? 藤原:覚えは早いよ、やっぱり。抜群の運動神経を持ってるから。とくにミドルキック、ハイキックなんか、華麗なんだよ。昔のボクサーはそんなに華麗じゃなかったんだけど、佐山先生の蹴りは軸足から腰にかけて、鞭のような捻りを持ってる。体重もあるしね。うちに来たときは80kgくらいで、いまみたいに太ってなかったけど(笑)。 ――佐山先生の華麗な蹴りは、目白ジムで培われたんですね。 藤原:人目につかないところで努力するタイプだね。「足を内側に返して、腰が入って、膝が入って、足首をこうやって、鞭のように」って教えると、反復練習するんだ。どんな人間でも、反復練習すればするほど華麗なものになる。それを陰でやるのが彼だから。 ――佐山先生はどんな方ですか? 藤原:言えないよ。イメージを壊しちゃうから(笑)。もう45年来の付き合いだから、いろいろ知ってるよ。タイガージムに毎週教えに行ってたんだけど、俺の教えが厳しいから「弟子が減っていく」ってぼやいてた。でも俺はいじめてたんじゃなくて、強さを教えてた。技は教えないよ。長年苦労して作った技を、簡単には教えない。技っていうのはね、盗んで覚えるものなの。ポイントは教えるけど、1から10までは教えない。 ――藤原先生はすごい方だと、佐山先生がおっしゃっていました。当時、タイでは外国人が試合することすら難しかったんですよね? 藤原:いまは簡単にできるけど、俺らの時代はまずノーランカーと闘う。ノーランカーでも化け物みたいに強い選手がいたよ。苦しい練習に耐えながら、ノーランカーと現役ランカーがどんどんぶつかっていって、勝ったり負けたり、7、8年かけて初めてランク9位に入ったときは嬉しかったね。5位以内に入らないと、チャンピオンに挑戦できないの。その頃、国技のムエタイを倒すのは狭き門だったんだよ。 ――いまでも藤原先生がタイに行くと、レッドカーペットが敷かれるそうですね。 藤原:ラジャでもルンピニーでも、俺は生涯、入場無料だってタイのプロモーターが言ってるよ。テレビ中継があると、引っ張られてテレビに出されちゃう(笑)。

ヒクソン・グレイシーがダッシュで挨拶に来る

――先生のお弟子さんは、世界中にたくさんいるとか。 藤原:俺が現役の頃に教えてたヤン・プラスっていう男が、オランダのアムステルダムに目白ジムを作ったんだよ。そこが拠点になって、ヨーロッパのキックボクシングが始まった。そこから分かれた選手がK-1にいってね。だからピーター・アーツとか、ほとんど弟子の弟子。バダ・ハリが引退試合をするとき、ぜひ来てくれって言うから行ったんだけど、俺を見つけたら走ってきてさ。ロブ・カーマンも直弟子だから、ダッシュで挨拶に来た。中国に行ったら、ヒクソン・グレイシーが走ってきた。すごいでしょ(笑)? ――すごすぎです! 現役時代、1日10時間練習したというのは、本当ですか。 藤原:本当ですよ。サラリーマンは8時間、もしくは残業して、9、10時間働くでしょ。プロはお客さんからお金をもらって、一流の技、試合の醍醐味を見せるんだから、サラリーマン以上にやるのがプロ。それがプロの徹底したやり方だっていうのを、黒崎先生から教わったから。 ――どういうメニューだったんですか。 藤原:まず、基礎体力を何時間もやる。バーベルやったり、ダンベルやったり。そして次は、上手くなるための稽古をする。試合の流れや、どういう間合いで、どういう風に技を出していくか。それが終わったら、今度は強くなるための稽古。逆境に強い精神と肉体、折れない心を作る。そして夜は稽古したものを、スパーリングでどんどん出して自分のものにしていく。 ――なにをモチベーションに、そんなに練習ができたのでしょうか。 藤原:黒崎先生と出会ってから、最初は全日本キックの初代チャンピオンになりたかった。チャンピオンになった瞬間、今度は世界一強くなりたくなった。そういう夢があったからね。この先生の言葉を一言一句、飲み込んで、先生の言う通りにやっていれば、絶対、世界一強くなれると思ったんだよ。  デビュー戦は2RKO勝ちだったんだけど、2戦目はタイ人をぶつけられて、14回ダウンを取られた。3戦目もタイ人で、17回ダウンを取られた。これじゃバカになるから、打たせない方法、相手からダメージをもらわない方法で闘うことを考えたの。俺は打たれ強いほうじゃないから。これが変則フットワークの始まり。 ――黒崎先生は、どんな指導をされていましたか。 藤原:プロのスポーツ選手にとって、基本はなんだと思います? どのジャンルでも同じだと思うけど、走ることなんだよ。例えば風速35mの台風が来たときに、立ってられないでしょ。そんなときでも、「今日は台風だから走らなくてもいいですよね」なんて言ったら、「バカヤロー! プロはな、走ることが基本なんだよ! 首ちょん切ってやるから、待ってろ!」って怒られた。  普通の先生の練習は、2、3時間、多くても4、5時間。けど黒崎先生は、「始め」って言ったら、「終わり」って言うまでやめられない。先生が練習の間に飲みに行っちゃったら、朝までやってなきゃいけないんだよ。帰ってきたときにやめてたら、ぶっ飛ばされるからね。  1年365日で、休んでいいのは2日か3日なんですよ。試合が終わって、翌日、足をケガして動けなくても、「座って練習できるだろ」って言うからさ。座って鏡見ながら、8時間も10時間もやるわけ。今度はお尻が痛くなって、ケツ剥けてさ。皮がべろーっと、お猿のケツみたいに真っ赤になるんだよ。パンツ履くのも痛い。それくらい、うるさい。「鬼の黒崎」っていうあだ名だったから。
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キックボクシングを始めたきっかけ
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尾崎ムギ子/ライター、編集者。リクルート、編集プロダクションを経て、フリー。2015年1月、“飯伏幸太vsヨシヒコ戦”の動画をきっかけにプロレスにのめり込む。初代タイガーマスクこと佐山サトルを応援する「佐山女子会(@sayama_joshi)」発起人。Twitter:@ozaki_mugiko

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