政権に媚びて商売をしようとする“ビジネス保守”言論人たち/倉山満
菅内閣が発足して2か月が経とうとする今、憲政史上最長政権となった安倍内閣を振り返ってみたとき、憲政史家の倉山満氏は「当時、安倍晋三は確かに『保守』の旗印だった」という――。(以下、倉山満著『保守とネトウヨの近現代史』より一部抜粋)
第一次内閣退陣後の安倍晋三は、世間的には「お腹が痛いと言って辞めた総理大臣」だった。だが、「保守」言論人の間では、一部には批判的な意見もあったものの、「保守」をまとめる旗印は「安倍さんしかいない」が大勢だった。
平成二十四(二〇一二)年、安倍は自民党総裁選挙に勝利し、ほどなくして首相に返り咲く。解散総選挙になった直後に「白川日銀総裁に金融政策の変更を迫る」と宣言した。
この直後から株価は爆上げ、政権発足直後に白川の辞表を取り上げ、黒田東彦総裁と岩田規久男副総裁を日銀に送り込む。そしてリフレ理論の通りに金融政策を実施、「黒田バズーカ」と言われる金融緩和を行って景気が回復軌道に乗るのと比例して、支持率も向上。東京都議会議員選挙と参議院議員選挙にも圧勝した。そして、内閣法制局長官人事にも介入する。戦後歴代総理の誰もなしえなかった快挙であった。
だが、勢いもここまで。平成二十五(二〇一三)年十月一日、安倍は消費増税を宣言する。安倍内閣の支持率は、景気回復によって支えられている。それをデフレ脱却前の増税など、景気回復を腰折れさせるに決まっている。だが、財務省の圧力に屈した。
その後の安倍内閣は、蛇行運転を続ける。
消費税八%が導入された平成二十六(二〇一四)年四月から景気は悪化。秋には一〇%への増税が予定されていたが、延期。日銀が黒田バズーカ第二弾に当たるハロウィン緩和を行ったこともあり、景気は緩やかな回復軌道に戻った。平成二十八(二〇一六)年には再び消費増税を延期したことで緩やかな景気回復は続いたが、政権発足当初の勢いを取り戻すことは二度とできなかった。そして、令和元(二〇一九)年十月一日、とうとう消費税は一〇%に引き上げられたところに、コロナ禍が重なった。
この間に安倍内閣は、明治の大宰相である桂太郎をも超える憲政史上最長政権となった。だが、日露戦争に勝利した桂と比較するまでもなく、安倍は何ひとつ実績を残せなかった。
「戦後政治の総決算」と大見えを切りながら何ひとつ「保守」らしい実績を残せなかった中曽根康弘ですら、三公社民営化(JR、NTT、JTの創設)という教科書に載る業績があるのに……。安倍は政権返り咲きの際に「戦後レジームからの脱却」を訴えていたが、いつのまにか口にすらしなくなった。
ちなみに私は安倍が増税を宣言した平成二十五(二〇一三)年十月一日でもって、チャンネル桜に見切りをつけた。また、以後は『正論』からも執筆依頼が途絶える。この二つに何の因果関係があるのか。大いにある。
「保守」言論人の間では、多くの人々が「安倍さんしかいない」と動いていた
蛇行運転を始めた安倍内閣
中曾根康弘ですら業績があるのに……
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1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『嘘だらけの日本古代史』(扶桑社新書)が発売中
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