「路上で石を売っていた」元芸人が、100人のホームレスを取材するまで
さまざまな背景を持つホームレスたちにインタビューするYouTube「アットホームチャンネル」を運営する元芸人の青柳貴哉さん(41歳)。今年4月には、これまでに取材した約100人のホームレスのなかから若い世代4人にフォーカスし『Z世代のネオホームレス 自らの意思で家に帰らない子どもたち』(KADOKAWA)を出版。青柳さんはなぜホームレスにカメラを向けるのか、話を聞いた。
――学校卒業後は何をしていたんですか?
青柳貴哉(以下、青柳):福岡県で生まれて地元の福岡大学経済学部に入ったんですが、学生時代にバンドを始めて、卒業後はプロになろうと思っていたんです。就活はせずにバンド活動を続けて、有名アーティストの前座などをやっていたんですが、大学卒業後3年ぐらいで結局解散することになったんです。
バンドマン時代は、クソみたいな生活をしてたんですよ。ほとんど働かずに親のスネをかじっていたし、当時から付き合っていた今の嫁にも、お金を借りまくっていました。それでも、俺はバンドやっているから大丈夫だと思い込んでいた。
当時、博多駅前に住んでいて近所にレンタルビデオ店があったんです。夜中の4時を過ぎると当日扱いになって100円で借りられるので、午前3時に店に行って1時間ほどかけて選んで、4時になった瞬間にレジに行っていた。そういう昼夜逆転の生活を続けていました。人間として終わっていました。
――その後はどうしたんですか?
青柳:バンドが解散したのでさすがにこのままではマズいと思い、とりあえず東京に行くことにしたんです。それで、映画が好きだったので親や友人に「俺、東京に行って俳優になるわ」と言って家を出ました。一応俳優を目指すというテイで上京したんですが、そう簡単になれるはずもなく、1年間ぐらい渋谷の映画館でもぎりのアルバイトをしていたんです。たまに渡辺謙とか渡部篤郎みたいな大物俳優が客として来ることがあって、そういう人を見ているだけで「よし、俺も近いところにいるぞ!」なんて思っていたんですよね。
そんな不毛な東京生活が1年ほど経ったころ、高校時代の同級生が吉本興業の養成所(NSC)に入るというので、仲間うちで誰が一番面白いか決めようってことになったんです。それで正月に10人ほど地元に集まり、コントと大喜利でお笑いバトルをしたら、僕が優勝しちゃったんですよ。
プロを目指しているヤツよりも俺は面白いことできるのかなと思って、その時3位だったヤツを誘って吉本に入ったんです。それが28歳の頃で、「ギチ」というコンビ名で活動を始めました。
ただ、バンドと同じで芸人もそう簡単に食えるような世界ではないんですよね。その頃は弟と一緒に住んでいたんですが、金がなくて弟の財布からこっそり金を盗むこともありました。バイトは下北沢のバーテンダーやAV女優のマネージャー、転売ヤーの並び屋、お金持ちの運転手など何でもやりました。当時の生活を思い出すと、ホームレスの方と自分は本当に地続きだなと今でも思っています。
「クソみたいな」昼夜逆転生活
ずっと食えなかった芸人時代
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