第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(20)

 たとえプレイヤー側にベットしている者がこの手を負けようとも、失うのは1万HKDのみ。その代償に、優子が飛んで、敵は一人減る。

 だから、バンカー。どうしても、バンカー。

 同席者たちは、プレイヤー側に賭けていようとも、そう願うのである。

 ディーラーの掌が、シュー・ボックスに伸びた。

 プレイヤー側三枚目のカードを引き抜く。

 突然の静寂が、バカラ卓をおおった。

 誰もの視線が、ディーラーの指先のみに集中する。

 バカラ大会決勝テーブルを、じりじりと焦げつくような緊張が包んだ。

「ハン」

 と言ってから、ディーラーがプレイヤー側三枚目のカードを、シュー・ボックスから抜き出した。

 二本の指先で、くるりとひっくり返す。

 開かれたカードがその素性を現すと、

「アイヤーッ」

 の大合唱。

 優子を除く決勝進出メンバーのすべてが恐れていたように、そのカードは「サンピン負けなし(=1プラス6か7か8の状態)」である。

 おまけにサンピンのカードの中央上部に点がひとつくっ付き、7。

 1プラス7で、プレイヤー側の最終持ち点は、8となった。打ち手たちが恐れていたごとく、綺麗な捲(ま)くりが決まっていた。

 プレイヤー側・バンカー側にかかわらず、持ち点の7には三枚目のカードの権利はないので、そのままスタンズ(=stands)。

 やはり、Seven never wins.で勝負がついた。

「プレイヤー・ウオン。エイト・オーヴァー・セヴン」

 と無感情に英語で結果を読み上げると、ディーラーはバンカー枠に置かれたチップに掌を伸ばし、フロートに収めていった。

 そして、プレイヤー枠に、ベットと同額の配当が付けられる。

 優子の六番ボックスには、勝ち分の10万ドル・チップ10枚が置かれた。

 蒼ざめていた優子の頬に、ささやかながら血の気が戻っている。

「大会の決勝テーブルで、初手からオール・インなんて、バッカじゃなかろか」

 と一番ボックスの百田が憎々し気に言った。

「負けたら、そうですね」

 相手は客だ。差し障りが生じないように、優子が小声で応える。

 声が震えていた。

 声だけではなくて、短めのスカートから露わになっている膝も震えていた。

 配当が終わり、

「ネクスト・ベッツ、プリーズ」

 と、ディーラーの少女が次のベットを促した。

 まだ第二クーである。

 賭ける参考となる(はずの)ケーセンは、できあがっていない。

 二番ボックスが、「口切り」の責任を負っていた。

 大阪の釜本は、表情を変えずにミニマムの1万HKDでプレイヤー・サイドにベットした。まだ気合いを込める場面ではない。

 サイドは異なれど、三番・四番・五番ボックスと、二番ボックスにつづきミニマム額のベットが置かれていく。

 さて、六番ボックスの優子の番だ。

 今度はそれほどの躊躇も見せず、優子はプレイヤーを指定する枠に、10万ドル・チップ10枚をどかんと載せた。

 再びのマックス・ベット。

「ひゃっ!」

 の声が、五番ボックスの小田山から挙がった。

 他の同席者たちは、大きく息を呑んだ。

 先ほどとは対照的に、優子の顔が紅潮している。

 こめかみに浮かんだ血管が、優子の早鐘のような心拍を示した。

 彼女は、ここが勝負手、と判断したのだろう。(つづく)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。