第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(21)

 まだ第二クーにもかかわらず、優子は決めに行ったのだ。

「またかよ」

 三番ボックスの才川が、吐き捨てるように言った。

 これにも優子は、薄い作り笑いで応える。

 一番ボックスにベットの順が戻り、百田がすこし考えていた。

 六番ボックスに付き添うべきか、否か。難しいところなのだろう。

 ここで優子にまた勝利されてしまえば、トップとの差が約200万ドルとなってしまう。

 競馬でいえば、ゲートが開き150メートル先の第一コーナーを曲がるまでに、しかも先行馬はまだひと鞭もくれていないのに、すでに20馬身以上の差がついた、といったところか。

 しかし、百田は動かなかった。

 いや、行けなかったのだろう。

 第二クーにおける百田のベットは、バンカー・サイドにミニマムの1万ドルだった。

 誰も、最初の「トビ」にはなりたくない。

 最初でも四番目でも、結果は同じなのだが。

 ディーラーが、

「ノー・モア・ベッツ」

 と言ってから、第二クーのカードを開いてみれば、プレイヤー側がコン(=絵札)にセイピンのガオ(=9)がひっつき、「ナチュラル・ナイン」である。

「アイヤアァ~ッ」

 と再びの叫び声。

 カジノでは、「アイヤアァ」がやたらと多いのである。

 バンカー側は、第一クーとは異なるカードだったが、モーピンの3にリャンピンの4で都合7という上等な持ち点を起こしながらも、沈没した。

 ――Seven never wins.

 のケースが二手連続している。

「ふう~っ」

 という大きな安堵の吐息が、優子の口から漏れた。

 優子のベットに、また10枚の10万ドル・チップがつけられる。

 同席の打ち手たちから、だいたい200万ドル分の単騎先行状態である。盤石の位置とはいえないまでも、以降の展開はおそろしく有利となるはずだ。

「ネクスト・ベッツ、プリーズ」

 とディーラーの少女が、第三クーへのベットを促した。

「口切り」は三番ボックスの才川に移動している。

 すこし考えてから、才川が10万ドル分のチップを、プレイヤーを示す枠に置いた。

 四番ボックスも五番ボックスも、10万ドルのプレイヤー・サイドへのベットである。

 もう動かないと、追いつけなくなってしまう。

 そう考えたのだろうか。

 そしてプレイヤーの3目(もく)ヅラを狙っていた。

 さて、六番ボックス・優子のベットの番だ。

 サイドは不明だが、もう一本マックス・100万ドルで行くのだろう、と良平は予想した。

 負けても他の打ち手たちとは100万ドルの差で、先行を保てる。

 勝ったりしたら、300万ドル分のカマシ独走状態で、圧倒的優位を築けるのだ。

 優子はしばらく考えていた。

 逡巡を振り切った顔で、ミニマムの1万ドルをバンカー・サイドに賭ける。

 そして同席の者たちに、涼しく笑いかけた。

 ――さあ、あなたがたは勝手に自滅してくださいな。

 とでも言っているかように。

 優勝賞金8000万HKD(1億2000万円)を狙っている人間の顔ではなかった。

 優子の表情が、オフィスで事務処理をしているそれに戻っている。

 ――「賭神」か?

 良平は自分の眼を疑った。(つづく)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。