第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(23)

 プレイヤー側の最初の二枚のカードは、絵札にサンピンの6。

 プレイヤー側の持ち点6には、いかなる場合でも三枚目のカードの権利はない。すなわち、プレイヤー側の持ち点は、6で確定した。

 一方バンカー側のそれは、リャンコ・サンピン(=サンピンのカードが二枚のこと)ながら総づけと総抜けで、8プラス6の4となった。

 バンカー側に三枚目の権利はあるとしても、これはつらい展開である。

 ディーラーの少女がシュー・ボックスから引き抜いたバンカー側三枚目は、またまたサンピンのカードで、案の定、バンカー側は転んだ。

 山段のベットに、五枚の10万ドル・チップがつけられる。

 ラスト3クーとなり、ルールに従い手持ちのチップ量が集計された。

 一番ボックスの百田が102万ドル。

 四番ボックスの山段が、前クーの勝利によって148万ドル。

 このクーまで7連敗を重ねた六番ボックスの優子は、277万ドル。

  ――In the money

 つまり、準優勝以上となるためには、次の第二十八クーあたりで、百田は動かなければなるまいて。

 第二十八クーにおける「口切り」ベットの義務は、百田に戻っていた。山段が二番目で優子が最後のベットとなる。

 百田は、シークレット・カードになにかを記入すると、それをプレイヤーとバンカーを指定する枠の中間に置いた。

 マックスで行くのか、それともミニマムで耐えるのか。

 あるいは、その間のベット量もありうる。

 ここいらへんは、難しい判断だろう。

 もちろんサイドは不明だった。

 百田のシークレット・カードの行使を見て、山段はすこし考えていた。

 迷いを振り切ると、10万ドル・チップを10枚、プレイヤーを示す枠に叩きつけた。

 マックス・ベットで、残りの手持ちは48万ドルとなった。

 山段は、シークレット・カードの行使は、最終2手まで残しておく作戦だ。

 このクーを勝つにせよ負けるにせよ、それなりにスジの通った戦法である。

 山段のマックス・ベットを確認すると、優子の顔から、すこしずつ血の気が引いていった。

 それはそうであろう。

 あと3クーで、優勝賞金800万HKD(1億2000万円)の行方が決まるのである。

 優勝したら、優子の取り分は良平が約束したように400万HKD(6000万円)。しかも丸々無税だ。

 誰だって、気持ちは昂る。神経細胞の活動電位が上昇する。そして悩ましく葛藤する。

 優子は、まだシークレット・ベットを使わなかった。

 その権利の行使は、ラスト2クーに残しておくつもりだ。それ自体は、悪い選択ではない。

 静かに5枚の10万ドル・チップをつかむと、優子はそれをバンカーを指定する枠内にそっと載せた。

「えっ?」

 百田が驚きの声をあげる。

 卓のうしろで展開を見守る良平もまた、意表を突かれた。

 50万ドル・ベットの意味がまったく不明だったからだ。

 防禦に徹してミニマムで打たれ越すのか、はたまた必殺のひと鞭をくれて、後続馬を回復不能なまでに引き千切るのか。

 ここはそういう局面なのだから。

 中途半端な仕掛けは、事故の元。

 やはり優子は、大会でのプレーに慣れていなかった。

 いやそもそも優子は、バカラというゲームにまったくのビギナーなのである。

 一番ボックスの百田が、にやりと笑った。

 ディーラーによってカードがシュー・ボックスから引き抜かれる。もう遅かった。(つづく)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。