第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(26)

 百田と山段の二人も、もちろんシークレット・ベットの権利を行使する。

 卓上に三枚のシークレット・カードが出揃った。

 昔懐かしい日本のバッタまき(=アトサキ)の場なら、ここで中盆が、

 ――盆中、揃いました。よろしいですか? よろしゅーござんすね。

 と言ってから、一拍置いて、

 ――それじゃ、勝負っ!

 と声を張り上げるところなのだが、マカオのジャンケット・ルームでは、

 ――ノー・モア・ベッツ。

 と交差させた腕をディーラーが左右に振って、勝負が開始される。

 勝負卓が発熱した。

 その熱が放射され、周囲まで過熱する。

 眼には見えない緊張の糸が、決勝テーブルを覆ってびっしりと張り巡らされた。

 不用意に身動きすれば、その鋭い緊張の糸に皮膚が切り裂かれそうだ。

 打ち手たちの胸は、どんどこどんどこ。

 その音まで聞こえてくるようである。

 誰もが、もう後戻りはできなかった。

 自らが下した判断に従い、偶然のカードの配列に運命を託す。

 すでに、神の領域の事象だ。

 すなわち、天命を待つ。

 ディーラーの掌が、シュー・ボックスに伸びた。

「等等(デンデン=待て)」

 の声が、一番ボックスの百田から挙がった。

“What?”

 と、ディーラーの少女。

 山段も優子も意表を衝かれた。

 張り詰めた緊張に、クラックが入ったのだろうか。

「もう変更はきかないんだから、シークレット・カードをオープンにしようじゃないか」

 と百田が提案した。

 当たり前ならカードが開かれて(つまり、勝負がついて)から開示されるシークレット・カードを、いま互いに確認しよう、という提案なのだろう。

 結果は変えられなくても、確かにその方が勝負は盛り上がる。

 山段にも優子にも、異存はない。

「シークレット・ベット、オープン」

 と百田がディーラーの少女に命じた。

 少女が、眼で山段と優子の許可を得る。

 二人が頷くと、ディーラーによってシークレット・カードが開かれていった。

 まず、一番ボックスの百田。

「プレイヤー・サイド、100万ドル」

 と読み上げてから、そう書かれた紙を皆に見せた。

 次に四番ボックスの山段。

「プレイヤー・サイド、100万ドル」

 百田が、

「うっ!」

 と唸った。

 これで百田の優勝の可能性は消えた。

 たとえマックス・ベットでプレイヤー・サイドが勝利したとしても、山段との差は埋められないからである。

 同時に山段の2位以上の成績が確定した。

「よっしゃっ!」

 山段が、両の手の平でグリーンの羅紗(ラシャ)を叩いた。

 最後に開かれたのは、優子のシークレット・カードである。

 それが開かれると、

「なんじゃ、そりゃ?」

 百田と山段の口から、同時に驚きの声が発せられた。

 優子のシークレット・カードには、バンカー・22万ドル、と記されてあった。

「だって、250万を残して、山段さんには勝とうと思って」

 と優子。

「山段もベットしなければならないんだから、そういう数字になりっこねーじゃねーか。バカか、おまえは」

 と、百田が毒づいた。(つづく)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。