第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(27)

「そうですよね。緊張しすぎて、そこまで頭が回りませんでした」

 と優子が、唇を歪めて自嘲する。

 ベットの時は赤黒く膨れていた顔だが、この時点では蒼白のそれに戻っていた。

 このとき、決勝テーブルの背後で展開を見守っていた良平は、確信する。

 バンカー・サイドがめくられて、優勝者は優子になるであろう、と。

 ディーラーの少女の細長い指が、シュー・ボックスに届いた。

「一本指でやれ」

 と百田が命じる。

 一本指なら、確かに「二抜き」「三抜き」は不可能だ。

 ここにも、大手ハウスでの「シゴト」を疑う打ち手がいた。

「シゴト」が入れられてしまうと恐れるなら、そんなハウスに行くなよ、と良平は考える。

 しかし、日本には「シゴト」の存在を信じる連中が多かった。

 それだけ、負けているということなのであろう。

 もっとも、負けている連中がほとんどだから、ジャンケットのような商売が、稼業として成り立っているのだが。

「OK, Sir」

 と、百田の命令に応じ、ディーラーの少女が一本指で、シュー・ボックスからカードを抜き出す。

 日本語で言っても通じてしまった。

 ここいらへんが、世界共通で、賭場(どば)のよいところだ。

 一本指でシュー・ボックスから抜かれたカードが二枚ずつ、所定の場所に揃えられた。

 三人の打ち手たちの呼吸が止まる。

 背後から眺めているだけで、良平にはそれがわかった。

 肌が粟立(あわだ)つ、血が滾(たぎ)る。

「ハン」

 と言ってから、ディーラーの少女が、プレイヤー側の二枚のカードをくるりとひっくり返した。

「おおっ!」

 と百田と山段が同時多発で叫んだ。

 絵札にサンピン最良の8がひっつき、「ナチュラル・エイト」である。

 優子ががっくりと顔を伏せた。

 まだあきらめちゃいけない、と良平は思う。

 あきらめたときに、希望は絶望に転ずるのだから。

 8は、確かに強い。

 しかし9というお兄さんを、残していた。

「チョン」

 とディーラーの少女が小声で言った。

 言葉を交わしたことはなかろうが、同じ職場で顔を合わせる優子に、同情しているのか。しかし……。

 勝負は、下駄を履くまでわからないのである。

 このケースでは、下駄ではなくて、二枚のカードが開かれるまで、不明だ。

 ディーラーの少女がひっくり返したカードは、二枚が重なったままだった。

 少女なりに、場を盛り上げようとしているのであろう。

 上のカードにハートのエースが載っていた。

 すると優子に必要なのは、サンピンのカードとなる。

 エースにサンピンのいわゆる「最強太郎」の組み合わせで、下のカードが「ヌケヌケ」の6でバンカー側の負け、「一点ヌケ」の7でタイ、「ツキツキ」の8でバンカー側の勝利だった。

 重なったカードをディーラーがわずかずつ斜め脇にずらしていく。

 打ち手の代わりに、ディーラーがカードを絞っている感じだ。

 優子が下げていた顔を挙げると、

「お願い、スリー・サイド」

 と言ってから、両手で自らの顔を覆った。

「なんでも、ええぞおおう」

 と四番ボックスの山段が吠える。 (つづく)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。